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タイガーマスク(男性、1970年10月20日 - )は、日本の覆面レスラー。タイガーマスクの4代目であり、現行のタイガーマスクである。通称は「黄金の虎」。
目次 [非表示] 1 人物 2 経歴 3 得意技 4 入場テーマ曲 5 タイトル歴 6 脚注 7 関連項目 8 外部リンク 人物 [編集] 2代目(三沢光晴)・3代目(金本浩二)と違い、純粋な初代(佐山聡)の弟子であり、歴代タイガーでは唯一、デビュー時から現在まで一貫してタイガーマスクを名乗っている。したがってタイガーマスクとしての活動期間は歴代で最も長い。また、歴代のタイガーマスクの中では最も小柄である。立ち場的には完全にベビーフェイスだが、反則攻撃を繰り返してくるヒールには非常にえげつない技で制裁を加えることもあるため「黄色い悪魔」と呼ばれることもある。 2005年に結婚したが正体は明かしていない[1]。 プライベートではパチンコ好きで、怪我の治療のため欠場中の天山広吉に代わり、2009年10月から2010年3月にかけてスポーツ報知でコラム『タイガーマスクの激録!!玉取ったる』(月1回連載)を担当していた。 2010年に『カルビーポテトチップス』のCMに単独出演している[2]。 全くの無名時代に素顔でエンセン井上の似顔絵に馬乗りのエンセンに許しを請うというやられ役のモデルを務めたことがある。格闘技通信掲載時に、すでにタイガーマスクだったので、目のところを隠されている。 経歴 [編集] 佐山聡の勧めで虎のマスクを被り、1995年7月15日、後楽園ホールのザ・グレート・サスケ戦にてデビューを飾り、数々の虎殺法を披露した。敗北を喫するが、試合後サスケにみちのくプロレス(以後みちプロ)入りを志願。サスケとこの日観戦に来ていた佐山がこれを了承。8月12日にみちプロの巡業に帯同し、9月14日にデビュー戦を飾る。また、同所属していたTAKAみちのくとは幾度となく対戦しており“名勝負数え唄”としても知られる。 1996年9月23日にUWA世界ミドル級王座決定リーグ戦に参戦。これに優勝し第29代王者となった。自身初のタイトル獲得となったが、翌年1997年2月25日、左膝を痛め長期欠場に伴う防衛戦期限切れにより王座返上。結局1度も防衛戦を組まれることはなかった。その後、光が当たることが無くなったが1999年4月11日に短期英国遠征へ出発。王座復活後第14代(通算第50代)英連邦ミッドヘビー級王者となった。 2002年に新日本プロレスの東京ドーム大会に初参戦。獣神サンダー・ライガー、サスケと組み邪道、外道、ディック東郷組に快勝。この年はみちのくに籍を置きながらほぼ1年を通してシリーズに帯同し、9月22日には金本浩二が保持するIWGPジュニアヘビー級王座に初挑戦。敗れはしたものの健闘を見せつけた。同年12月にみちプロと契約満了に伴い、新日本へ正式に移籍。 2005年6月19日に決勝戦で外道を破り、2004年、2005年のベスト・オブ・ザ・スーパージュニア優勝、2連覇という大会史上初の偉業を達成した。 得意技 [編集] タイガー・スープレックス・ホールド 歴代タイガーマスクが得意とするフィニッシュ・ホールド。 デストロイ・スープレックス・ホールド 変形タイガー・スープレックス。 ミレニアム・スープレックス 変形のタイガー・スープレックスで、チキンウィングフェイスロックからのスープレックス。 ケブラドーラ・パイルドライバー 走ってくる相手に対しカウンターで行う。最初はケブラドーラ・コン・ヒーロと同じ要領で、途中で体勢を変えて、最終的にツームストーン・パイルドライバーの形で落とす技。 ムーンサルト・ダブル・ニー・ドロップ 寝ている相手の上に後方宙返りして両膝を落とす。 ダイビング・ヘッドバット 寝ている相手に対し、トップロープから飛んで、自らの頭部を相手の体にぶつける技。 入場テーマ曲 [編集] おまえは虎になれ 燃えろ!吠えろ!タイガーマスク(WRESTLE LANDで使用) タイトル歴 [編集] IWGPジュニアヘビー級王座(第44、47、49、54、56、58代) GHCジュニアタッグ王座(第12代) UWA世界ミドル王座 英連邦ジュニア王座 エイペック・オブ・トライアングル NWA世界ジュニアヘビー級王座 PR |
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平田 淳嗣(ひらた じゅんじ、1956年12月20日 - )は、日本の男性プロレスラー。神奈川県平塚市出身。新日本プロレス所属。
デビュー時のリングネームは、当時の本名である平田淳二だったが、その後本名を平田淳嗣と改名したためリングネームも改名した。そのレスラーとしてのキャリアにおいて、覆面レスラーのストロング・マシン、またはスーパー・ストロング・マシンのリングネームで知られる。 派手なテクニックや大技は無いが、大きく頑丈な体躯と長いキャリアを生かした重厚なレスリングを身上としている。若い頃は飛び技なども器用にこなす万能型のレスラーであり、またフィニッシュ・ホールドの「魔神風車固め」をここ一番という時のみに使用することで、未だ唯一無二のオリジナル技としての説得力を持たせ続けている。 目次 [非表示] 1 経歴 2 マスクマンとしての平田 2.1 ストロング・マシン 2.2 スーパー・ストロング・マシン 3 リングネーム 4 得意技 5 獲得タイトル 6 エピソード 7 脚注 8 外部リンク 経歴 [編集] 高校生時代から柔道やボディビルで身体を鍛え、その後高校を中退して1978年5月に新日本プロレスに入門し、同年8月藤原喜明戦でデビュー。「長州2世」と呼ばれ前田明らと前座で戦っていたが、1982年11月にメキシコ遠征に出発した後カナダのカルガリーに転戦し、「サニー・トゥー・リバース」というリング名で活躍した。その姿はモヒカン刈りで、海外で活躍する日本人レスラーを紹介する番組にて、マスクド・スーパースターに挑戦するタイトルマッチが取り上げられたことがある(ちなみにその時のレポーターは、引退したばかりだった女子プロレスラーのタランチュラ)。またこの当時、マサ斎藤や長州とAWA地区ミネアポリスで接触し、プロレス雑誌で維新軍入りと伝えられたが、帰国命令が出なかったため実現せずに終わる。ちなみにカルガリー時代にはザ・コブラ(ジョージ高野)を破り連邦ミッドヘビー級のタイトルを奪取している。 1984年8月に帰国すると、マネージャーの将軍KYワカマツ率いる「マシン軍団」の一員として若松に操られる機械という設定の覆面レスラー「ストロング・マシーン」にギミック変更した。当時、記者がマシーンに話しかけると「ギギギ…ガガガ…」という機械音が聞こえた、という記事が新聞紙上を飾っている。後年このことを記者がたずねると「屁でもした音だろ」と答えた。9月7日、福岡スポーツセンターのメインでアントニオ猪木と一騎打ち。これがストロングマシーンでのデビュー戦となる。 1985年4月に「マシン軍団」と仲間割れ(藤波辰巳との決着戦をワカマツがパウダー攻撃でぶち壊したため)。5月には藤波の試合後に乱入したワカマツを蹴散らして救出したが、藤波から「お前、平田だろ!?」とマイクパフォーマンスで公然の秘密を暴露され、マスクを脱いで立ち去った(この時タオルを頭から被ったままマスクを脱いだため、素顔を窺い知ることが出来なかった)。一連の流れから正規軍入りするかと思われたが、「スーパー・ストロング・マシーン」に改名後も、正規軍とは距離を置いてファイトする。 藤波がヘビー級に転向してから体格的に使うことが出来なかったドラゴン・スープレックスを2度もしかけられている(そのうちの1度はワカマツのパウダー攻撃が災いしピンフォール負け)。 その後、8月にヒロ斎藤・高野俊二と「カルガリーハリケーンズ」を結成して1986年に全日本プロレスに参戦した。この間阿修羅・原とアジアタッグ王座を獲得している。 全日時代では、先に新日から移籍した長州と抗争。決着戦でも決着がつかず、エキサイトの余り自らマスクを脱ぎ、長州に叩きつける(ただしセコンドの高野俊二が、タオルで素早く頭を覆い素顔を隠した)。このころの長州はマシンに関するインタビューでは頻繁に「アイツはマスクを脱ぐべき」と言っていた(ちなみにその後WJプロレス興行内で長州とシングルで対決しピンフォール勝ちをおさめている)。1986年6月12日には天龍源一郎のUNヘビー級王座に挑戦、奪取には失敗したものの全日時代の名勝負として語られている。 1987年、長州らと共に、新日本プロレスに復帰。 翌年、長州の「俺らが今時代を変えるんだ」という呼びかけがありNEWリーダー軍として長州・藤波・前田・木村健吾らと共闘し、アントニオ猪木・坂口征二・マサ斎藤・星野勘太郎・藤原(助っ人にディック・マードック・武藤敬司)らのNOWリーダー軍と世代闘争を行なった。 この年、若手時代のライバル前田日明と共闘することになったが、別選手(マサ斎藤)との試合のため入場して来た前田にリング下で握手を求めるが無視され激怒し、頭突きと鉄柱攻撃で大流血に追い込んで遺恨となり、5年振りにシングルで対戦。名勝負の末、前田にチキンウイングアームロックをかけられドクターストップが入り敗れる。 1989年にジョージ高野とのタッグ(烈風隊)でIWGPタッグ王座を獲得した。しかし、王座陥落後に、平田がブロンド・アウトローズ(ヒロ斎藤、後藤達俊、保永昇男)と共闘したこと、及びジョージ高野がSWSに移籍したことから、烈風隊は解散。その後、1990年にヒロ斎藤とのタッグで、再度IWGPタッグ王座を獲得している。後にブロンド・アウトローズはレイジング・スタッフと名を変えたが、一時期全員がカラフルなマスクを被り「マシン軍団」の再来を演じたこともある。また、仲間割れにより後藤が反選手会同盟に鞍替えした後、平田はWARのリングに参戦し、阿修羅・原と共闘して反WAR軍の一員となる。 1994年10月、SGタッグリーグにフリーであったマシンが一匹狼の蝶野正洋を誘う形でタッグを組んで出場。当時ヒール転向したばかりの蝶野が出場の意欲を持たない社命によるエントリーであった。その過程で『因縁』が積み重ねられていった(タッチ拒否、ラリアットやケンカキックの誤爆への報復、1人ずつの入場、パートナーであるマシンにマスク剥ぎ等)。マシンも徐々に蝶野に対し怒りをあらわにするようになる。しかし社命への反発心や相互の意地が白星を生む結果を積み重ねるにつれ、互いに認める部分が大きくなり、リーグ戦終盤には蝶野から「マシン『さん』、俺ら優勝するんですよね」との言葉が出るようになる。葛藤を乗り越えついに優勝決定戦(VS武藤・馳浩組)に進出するが、平田はその試合中に自分を誤爆したパートナーの蝶野に激怒して、蝶野にラリアットを見舞った後自らマスクを脱ぎ顔に叩きつけた。会場はそれまでマシン(平田)に対し「マ・シ・ン! マ・シ・ン!」のコールを送っていたが、この瞬間尋常ではない勢いの「ヒ・ラ・タ! ヒ・ラ・タ!」の大合唱で包まれた。この行動により蝶野は試合中にリングを去り孤立した平田が武藤のムーンサルトプレスにフォール負け。試合後、「こんなしょっぱい試合ですいません!」とファンに謝罪。蝶野は試合後、浮かなかったマシンが自分を利用して大舞台でマスクを脱ぐために上がってきたと批判したが、最初から覆面を脱ぐ目的があったのかは不明。実際には蝶野はマシンがフォールされる直前に救出しようとリングへの途中まで戻って来ており、救出が間に合わなかった照れ隠しで言っただけ、あるいは好い機会だからどうぞ利用して再ブレークしてくれとのエールだった、との見方もある。後にT2000マシンを登場させ激怒を誘うなど、蝶野には以降も平田を意識したかのような行動がままある。 SGタッグリーグ優勝決定戦の決裂直後に蝶野との遺恨シングルマッチ3連戦が組まれ対戦するが、初戦では蝶野にSTFをチョーク気味にかけられ泡を吹き白目をむいてしまい試合後に藤波から叱咤される。しかしその後の対戦でマンハッタン・ドロップからの首固めでピンフォール勝ちを収め一矢報いた。 その後は平田淳嗣として新日本に復帰入団、正規軍で活動するようになり、蝶野とのタッグでブレークを狙う天山の前に橋本とのタッグで立ちはだかる。1995年7月に橋本真也と蝶野・天山広吉組を破り再びIWGPタッグ王座を獲得した。この戴冠は自ら蝶野をジャンピング・パワーボムで葬ったものであり、この時期の平田は第二の全盛期と言っていい活躍を見せた(蝶野や天山、越中、馳からシングルでピンフォール勝ち・タッグではスタイナーやホークウォリアーからも魔神風車でカウント3を奪う等)。タッグ結成時には半信半疑だった橋本も、次第にパートナーとしての実力に万全の信頼を置く発言が増えるようになる。勢いに乗って当時武藤が持っていたIWGPヘビー級王座にも挑戦したが(1995年9月25日・大阪府立体育会館)、戴冠はならなかった。 1999年から選手会長として「まとめ役」に徹していたが、同時期のレスラー活動では「スーパー・ストロング・マシン」や星野総裁率いる「魔界倶楽部」の「魔界1号」として、マスクマンとしても活動している。この時期「魔界2号」筑前から、自分と「烈風隊」を再結成してくれとの発言を受けたが明確に解答しないまま現在に至っている。またラブマシンズの一員である「スーパー・ラブ・マシン」として全日本マットにも登場した。「ブラック・ストロング・マシン」としての活動を経たこともある。 2005年に現場責任者の地位に後藤とともにつくが、新日本に復帰してきた長州と対立し一方的な解任処分を受ける。これを機に再び反体制勢力に回っている。 2006年単発興行「WRESTLE LAND」のスポークスマンとなる。記者会見で「マシンは『誰が来ようが、覚悟しておけ!』とも言っていました」と発表し、マシンと平田は別キャラクターである設定を再度用い始めた。 2007年は長州・蝶野と和解し、レジェンドを結成。スーパー・ストロング・マシンとして活動中。平田本人は「目のケガのため欠場」ということになっており、会場から試合を観戦して若手にアドバイスを送っているとされる。 2009年からは永田裕志、井上亘、平澤光秀らと青義軍を結成し、お目付役として若手2人の背中を押している。 マスクマンとしての平田 [編集] ストロング・マシン [編集] デビュー当初は「ストロング・マシーン」の呼称・表記だったが現在は「ストロング・マシン」と呼称・表記される場合がほとんど。 将軍KYワカマツに操られる設定で1984年8月24日に後楽園ホールに初登場し、最初は一人だったが「増殖した」事で戦慄の殺戮マシーン「ザ・ストロング・マシーンNo.1、No.2」の二人組となり、最終的には1号から4号まで存在した。 マシンの本名・経歴・趣味・好きな有名人は不明だが、週刊プロレスの選手名鑑には必ず「好物は中華料理」と6年間載っていた。ブラックになってからはカツカレーに変わっている。 レスラーとしての評価は別にして、ストロング・マシーンのマスク自体はデザイン・機能性など評価は高い。目元や口元の開口部は大きいが、二重メッシュ(網目)構造でラメが施されている為キラキラと輝き、素顔は全く見えない。赤、緑、紫、黒系統のマスクを使い分けていた。WAR参戦時に、口の部分が開いたマスクを着用したこともある。額にはSのデザイン文字が入るがレイジング・スタッフ時代はRSとなっていた。 桜庭和志がPRIDEのリングに登場する際にマシン風のマスクを被って以来現在でも「仮面39ライダー」のキャラクターとして使われている。一時期、ストロングマシン39号とも名乗っていた。 桜庭のほかにも、プロレスラーでは高野俊二、アンドレ・ザ・ジャイアント、マスクド・スーパースター(ビリー・クラッシャー)、ハルク・ホーガン、安生洋二、後藤達俊、石澤常光、高木功、杉浦貴、高山善廣、青木篤志などが次々と、一般人では(魔界倶楽部唯一の一般人公認者)魔界19号が(地元の愛媛FC応援の時に、ニンジニアスタジアムにマシンマスクを被って観戦するほど)マシンマスクを被るため、マシン軍団は現在も増殖し続ける。嘗てのマネージャー若松市政(将軍KYワカマツ)は現在芦別市議会議員であり、マシン軍団と疎遠となってしまったが、プロレス誌のインタビューで記者からこのことを聞き、「マシンは今も増えてるんですか? 嬉しいなあ」と、自ら考案したマシン軍団の増殖ギミックを喜んでいる。なお、魔界19号はワカマツより、ウワジマ・ストロング・マシンの公認も受けている。 スーパー・ストロング・マシン [編集] 「マシン軍団」から離れて活動するようになった以外は、外見上のデザインはほとんど変化ない。 2006年5月13日に行われた第1回WRESTLE LANDにて、久々にスーパー・ストロング・マシンとして試合を行った。今日でも会場人気は高く、「おまえは平田だろ〜」という野次が絶えない。これに対してS・S・マシンは「誰が平田だ?」とやり返す。永田裕志率いる青義軍に加入してからは、マスクの色をメタリックブルーに改めた。 対戦相手が不甲斐無い試合をして負けると、試合後に「○○(対戦相手の名前)が、しょっぱい試合ですいません」と、対戦相手を揶揄するマイクパフォーマンスをする。 また2009年に放送された「アメトーーク」に取り上げられて以来再び注目を集めている。 リングネーム [編集] 平田淳嗣が名乗ったことがあるリングネーム。 平田淳二 サニー・トゥー・リバース ストロング・マシーン ザ・ストロング・マシーンNo.1 ストロング・マシーン1号 スーパー・ストロング・マシーン スーパー・ストロング・マシン 平田淳嗣 魔界1号 スーパー・ストロング・魔神 スーパー・ラブ・マシン ブラック・ストロング・マシン マスクドCTU-MZ 平田スポークスマン 得意技 [編集] 魔神風車固め 自身が考案したオリジナル・ホールドで、相手の片腕をチキンウイングに極めて放つハーフハッチ・スープレックス・ホールド。稀に投げ捨て式でも放つ。「マシン」というリングネームに「魔神」の字を当てている。別名:マシン・スープレックス。 両腕で相手の体を固定するため首だけでブリッジをせねばならない難易度の高い技。また、この技を受けた馳浩が肩甲骨を骨折したことがあり、受ける方にとっても危険な技である。 ジャンピング・パワーボム いわゆるシットダウン式で放つ。平成初期にはフィニッシュにも用いていた。 ダイビング・ヘッドバット 平泳ぎのように自身の両腕を交差させながら放つ。こちらもフィニッシュとしても用いられた。 マシンラリアット 相手をコーナーに振ってすかさず追いかけ串刺し式で放つものは特に追っかけラリアットと呼ばれた。 DDT 上記追っかけラリアットを放った後、その勢いを利用してこの技に繋げる連携も一時期よく見せていた。 ジャーマン・スープレックス トップ・ロープからダイビング・ヒップ・アタックを放った越中詩郎を受け止めそのままジャーマン・スープレックスを仕掛けフォール勝ちしたことがある。 セントーン レイジングスタッフ時代の盟友・ヒロ斎藤も同じくセントーンを得意とするが、平田の場合は助走を付けずにその場で両足を踏み揃えてジャンプするフォームで使用。 プランチャ・スイシーダ 長州戦、前田戦など、大一番でのみ放った。コーナー最上段から場外へ向かって飛ぶ。 獲得タイトル [編集] IWGPタッグ王座 アジアタッグ王座 連邦ミッドヘビー級王座 エピソード [編集] メキシコ武者修行当時、一緒に遠征していたジョージ高野、ヒロ斎藤、保永昇男らが、環境が合わず痩せていく中で唯一、平田だけが増量していたため、取材に来た記者達に「何食って太ったんだ?」と不思議がられた。 新日内で、当時の人気漫画『キン肉マン』をモチーフにした覆面レスラーの企画が持ち上がり、ストロング・マシーンになる前の平田がリストアップされた。作者のゆでたまごや集英社の了承を得ていなかったため、クレームが付き、企画は没となっている。 ただし、ストロング・マシーンとなる直前に「謎のマスクマン」として覆面の上に目出し帽を付けて登場している。その際、わずかに覗くマスクや頭頂部がとがっている等の特徴から、実際にキン肉マンの覆面をしていたのではないかという説もある。またその目出し帽での登場の際に、ある記者が「彼は何者か?」と聞いたのに対し、将軍KYワカマツが「ストロングなマシーンだ」と答えたことが、ストロング・マシーンの命名の由来であるという説もある。 上記の通り平成元年時分は、ジョージ高野とのタッグで「烈風隊」を結成していたが、結成当時は共にあまり陽が当たらずそこそこの実力者ながら、戦績が良くないといった選手同士のタッグであったが、IWGPタッグを獲得するといった名タッグチームとしての実力を発揮した。 2005年7月に放映された日本マクドナルドの新製品「ペッパーチーズダブルビーフ」のCMにおいて、後藤達俊とともに棚橋・中邑の相手役を務めた。 プロレス雑誌のインタビューで、マスクを剥がされる時の気分について聞かれ、「パンツを脱がされるのと同じ気分だよ」と発言したことがある。 「マシン・ボイス」と呼ばれる独特のかすれてこもった声が特徴。スポークスマンとして会見を行う際も言葉が聞き取りにくいほどである。リング上で興奮状態で怒鳴るマイクアピールは観客も何と言っているのか全くわからない。 2009年8月13日の名古屋での試合後、タッグマッチで対戦した杉浦貴から「おいマシンやっぱりお前は平田だろ」とマイクで挑発された。その挑発に対して俺は平田ではないと否定した後「名古屋のみなさん杉浦君がしょっぱい試合をしてすいませんでした」と切り返し観客の笑いを誘った。 ザ・コブラのマスクを辞めた直後のジョージ高野との試合前のインタビューで「俺はね、あんな中途半端にマスクを脱ぐような奴とは違うんだよ、あんな腰抜けに俺が負けるわけねえんだよ!」と決めた。しかし、直後にアナウンサーに「それは高野選手がザ・コブラだったと言うことですか?」と極々真っ当な切り返しをされて「…そうだよ…、悪いかい?」と意気消沈した。「アメトーーク」で名シーンとしてこのインタビューを紹介した有田哲平は「『やっちゃった…』って顔してるのがマスク越しにも分かる」とコメントした。 前途の「アメトーーク!」で扱われた際に、ガリットチュウの福島善成に似てると言われ、放送時には福島が平田のポーズを真似したワイプ画像が映された。 2009年12月20日に魔界19号は長男を出産し、誕生日も同じなら血液型も平田と同じB型だったことから「淳嗣と名付けた」と自身が運営する水産会社のWebページで発表。将来的に新日に入団させてマシン2世にするべく、教育していると言う。 |
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獣神サンダー・ライガー(じゅうしんサンダー・ライガー、1989年4月24日 - )は、日本の覆面レスラー。新日本プロレス所属。本名は非公開。永井豪宅出身、もしくは広島県広島市[1]。血液型AB型。
上記のプロフィールはライガーとしてのもの(#正体についてを参照)。 目次 [非表示] 1 正体について 2 来歴 2.1 山田恵一 2.2 獣神サンダー・ライガー 3 人物 4 有名な試合 5 タイトル歴 6 得意技 6.1 打撃技 6.2 投げ技 6.3 関節技 6.4 固め技 6.5 飛び技 7 ライバル 8 プロレス以外の活動 9 マスクの種類 10 その他 11 脚注 12 外部リンク 正体について [編集] 正体は新日本プロレスに所属していた山田 恵一(やまだ けいいち、1964年11月30日 - )だと、初めて登場した際の中継放送では伝えられているが、その後はあくまでも正体は謎という扱いになっている。 実際、テレビ出演の際のライガーのプロフィールが山田のものだったことや、当時の週刊プロレスでも山田→ライガーの特集記事が組まれたこともあった。しかし、ライガー自身は「山田は死んだ。リヴァプールの風になった」と発言している。 来歴 [編集] ここではライガーと関係が深いとされる山田恵一の経歴も記載する。 山田 恵一 プロフィール リングネーム 山田 恵一 本名 山田 恵一 ニックネーム シューティングスター あすなろ戦士 飛燕 身長 170cm 体重 95kg 誕生日 1964年11月10日(46歳) 出身地 広島県広島市中区 所属 新日本プロレス スポーツ歴 レスリング 骨法 トレーナー 藤波辰爾 山本小鉄 藤原喜明 堀辺正史 デビュー 1984年3月3日 引退 (1989年1月頃に消息を絶つ) 山田恵一 [編集] 広島県広島市中区出身。広島電機大学付属高等学校(現・広島国際学院高等学校)在学時からレスリングで頭角を現し、国体にも出場した。 高校卒業後、新日本プロレスの入門テストを受験。体力テスト等は合格基準を満たしたが、身長が低かったために不合格にされる。(公称として身長を170cmとされているが、実際は160cm台である)その後単身でメキシコに渡り、そこで出会ったグラン浜田を通じて山本小鉄を紹介してもらい、社員として新日本プロレスに入社し、その後も個人的に練習を続け入門が認められ、1984年3月3日、小杉俊二戦でデビュー。 1985年に光文社『ジャストコミック』(廃刊)で連載された『スープレックス山田くん』(監修・古舘伊知郎、作画・国友やすゆき)の主人公のモデルになっている。 第1回ヤングライオン杯において決勝戦で小杉俊二に敗れ、優勝を逃す。しかしこの頃から、若手らしからぬテクニックを魅せ、ジャーマン・スープレックスで同じく若手であった橋本真也にフォール勝ちし、海外遠征から凱旋帰国した後藤達俊にもエビ固めで勝利する。さらに異種格闘技戦も経験。ドン・中矢・ニールセンとも対戦し、善戦するもKOで敗れる。第2回ヤングライオン杯で優勝を果たしてから海外修業も経験する。遠征中は「フジ・ヤマダ」のリングネームを名乗りローラーボール・マーク・ロコ(初代ブラック・タイガーの正体)から欧州レスリング連盟ミドルヘビー級王座を獲得するなど活躍した。この時期の新日本ジュニア戦線は、越中詩郎、ザ・コブラ、小林邦昭、ヒロ斎藤、保永昇男、UWFから高田伸彦(現:高田延彦)、山崎一夫、ジャパンプロレスの馳浩、海外からはオーエン・ハートなど錚々たるメンバーが揃う第2期黄金期であり、山田もその一翼を担っていた。その影で山田は、藤原喜明の通称「藤原教室」でカール・ゴッチ源流の関節技を、また同時期に若手の船木優治(現:船木誠勝)と共に、当時まだあまり知られていなかった新進の格闘術「骨法」をいち早く学んでいる。 身長のハンデがあったため新日本プロレスでもトップクラスの練習量を誇り、通常の興業が行われる場合に若手は雑務に追われることが多い中、会場設営・アントニオ猪木のスパーリングパートナー・藤原教室・グッズ販売・自身の試合・先輩レスラーのセコンド、更にわずかな空き時間を見つけては階段ダッシュと7時間以上動きっぱなしということも日常茶飯事だった。 1989年1月のイギリス遠征中に消息不明になったとされている。 獣神サンダー・ライガー [編集] 獣神サンダー・ライガー、2007年6月17日、後楽園ホール 1989年4月24日、東京ドームにて小林邦昭戦で全身をコスチュームで覆った獣神ライガーとしてデビュー。ライガースープレックス(獣神原爆固め)で勝利を収めると、翌月の5月25日には馳浩を破り、IWGPジュニアヘビー級王座を獲得し第9代王者となった。 ギミックのモチーフとなったのは永井豪原作の漫画『獣神ライガー』で、当時放映されていたアニメにシンクロして獣神ライガー→ファイヤーライガー→獣神サンダー・ライガーへと変化している。 1990年代前半はIWGPジュニアヘビー級王座を巡り保永昇男、佐野直喜(現:佐野巧真)、ペガサス・キッド、エル・サムライ、2代目ブラック・タイガー、野上彰(現:AKIRA)らと激闘を展開。これ以降、日本ジュニア界の中心人物とて活躍していくことになる。 また他団体との交流戦・対抗戦が盛んになると、積極的に動いて他団体選手の新日本参戦に尽力し、ザ・グレート・サスケ、ウルティモ・ドラゴン等と団体の垣根を越えて協力し、ついに1994年にスーパーJカップを開催、成功を収めた。しかし、同年愛知にて行われたメインイベント、ライガー&長州力組対ワイルド・ペガサス&武藤敬司組の試合で、足を骨折する。 その一方で新日本内部のジュニア活性化も行い、1990年代中頃からエル・サムライ、ケンドー・カシンらと組み、一世代下の金本浩二、大谷晋二郎、高岩竜一らと戦い会場を沸かせていた(もっともカシンは一世代下であるが、カシンが偏屈な性格であることと覆面レスラーという共通点もあり、ライガー側となっていた)。特にディーン・マレンコ、ワイルド・ペガサス(ペガサス・キッドから改名)、2代目ブラック・タイガーの4名は「ジュニア・フォーフォースメン」(当時WCWで一斉を風靡していたユニット「フォー・ホースメン」にちなむ)と呼ばれ、1990年中-後半のジュニアを牽引する。またWCWにも遠征し、ベルトも獲得。その出で立ちと実力から人気を博した。 2004年、大阪プロレスへ参戦し、当初はサムライ・金本・井上亘らと出場すると思われていたが、邪道、外道、竹村豪氏らと出場する。これ以降、ジュニアヘビー級のヒールチーム「C.T.U(コントロール・テロ・ユニット)」を結成。一時、蝶野正洋率いるBNJ(ブラックニュージャパン)というヘビー級の新軍団と合流したが、2006年半ばにBNJが事実上解散状態になったため、再び独立ユニットとなり、2007年夏ごろ、邪道・外道の離反によりC.T.Uも解散となる(2007年春頃にプロレス雑誌で解散するとの発言もあった)。2007年よりDRAGON GATEに参戦、3月26日にドン・フジイを破り、オープン・ザ・ドリームゲート王座を奪取した。しかし、7月1日にCIMAに破れ、ベルトを手放している。C.T.U解散に伴い、長州・蝶野らとともに「レジェンド」を立ち上げ、コスチュームも以前のような赤いマスクを付けたベビーフェイスに戻した。 2007年のWRESTLE LAND博多大会にて、にわか面を付け福岡ソフトバンクホークスの応援歌である『いざゆけ若鷹軍団』を入場曲とするハラキリ・ハカタ二号として登場。ハラキリ・ハカタの別リングネームを持つアステカと友人関係であることや、ライガー自身が福岡在住であることなどが、このキャラクターに結び付いている。 2008年2月17日の両国大会で、AKIRAと共にIWGPジュニアタッグ王座を勝ち取り7月21日の陥落まで所持していた。 2009年1月4日ではデビュー20周年記念試合を行いかつて幾度も死闘を繰り広げた佐野巧真とタッグを結成し金本浩二、井上亘組と対戦。最後は雪崩式垂直落下式ブレーンバスターで金本からピンフォールを奪った。2月15日には4年ぶりとなるIWGPジュニア王座に挑戦。普段見せないムーンサルトプレスやライガーボムなどを解禁し挑んだが最後はタイガーのデストロイ・スープレックス・ホールドで敗北。5月6日、新日本の試合を終えた後、金本と共にプロレスリング・ノア主催の日本武道館大会に参戦。ライガーを超神カイザー、金本を仲本工事と名前をわざと間違える挑発をしてきた平柳玄藩が金丸とタッグを組んで対戦。勿論2人は平柳を集中攻撃し金本がアンクルホールドで捕獲するとギブアップを奪った。 2010年4月4日に約1年ぶりに丸藤正道が持つIWGPジュニア王座に挑戦したが、タイガーフロウジョンを前に敗れた。 人物 [編集] 獣神サンダー・ライガー(左) 「ジュニアの象徴」と呼ばれ、2007年現在、新日本プロレスのジュニアの現場監督である。 マスコミ批判・レスラー批判など時に遠慮のない歯に衣を着せぬ発言もするが、個人的感情というよりもプロレスそのものに対する誇りから放たれている。それ故レスラーの戦い方やスタイルにしても、しっかりとした1個性として作りあげられているものならば、メジャー・インディを問わずたとえ敵対関係にあっても寛容な姿勢を見せ、他団体との交流や新日本参戦に自ら積極的に行動して橋渡し役になる場合が多い。他団体のリングに乗り込む際は率先してヒールを演じ、相手側ファンの罵声を浴びて会場の熱気を盛り上げる。ただし、2006年にDRAGON GATEに参戦した際には、ヒールユニットのマッスル・アウトローズの土井成樹とDo FIXERのドラゴン・キッドの抗争の流れからの参戦ということもあり、以前の赤いマスクを付けたベビーフェイスとして登場している(この時新日本ではC.T.Uとして活動していたので黒マスクを着用していた)。またプロレスに対する真摯な態度や言動から他のレスラー・プロレスファンからの信頼は非常に厚い。特に自分の源流である新日本プロレスには強い愛着を見せており、近年多く出版されるようになったプロレス暴露本などで、新日本プロレスの凋落を批判するOBに対し、本隊から離れている時にあっても「選手は一生懸命やっている。観客が来なくなるような発言は控えてほしい」と述べている。 器械体操をやっていた経験からシューティングスタープレスなどの難易度の高い空中殺法を開発したり、小柄な体格にもかかわらず垂直落下式ブレーンバスターを必殺技として定着させたりと、流行技の発信源になっている。 長年新日本のジュニアを支えあってきたエル・サムライとタッグを組むことが多く、IWGPタッグやジュニアタッグリーグで優勝している。 少年時代はミル・マスカラスの大ファンであった。後にタッグながら対戦している。 マスクはマイナーチェンジを含めて、たくさんの種類がある。また、毎年1月4日に行われる新日本プロレスの東京ドーム興行では毎年のように違う配色のコスチュームで登場する。マスクは口元だけが破けやすく、その状態で試合を行うこともある。ファンからプレゼントされた手作りマスクを被って雑誌の表紙を飾ったこともある(このファンは後にノブナガにマスクコレクターとして出演し、エピソードを披露している)。 プライベートではゴジラグッズ、フィギュア収集、食虫植物の栽培などを趣味とするインドア派。ただし、釣りも趣味としており、遠征中にしていることもある。 入場テーマ曲はデビュー時から一貫して『怒りの獣神』(弘妃由美、アニメ『獣神ライガー』前期OP)を使用している(ライガー自身は「プロレスラーの入場曲で、唯一歌える曲だから」と語ったことがある)。 井上や柴田らがデビューしたころから、タイトル戦にあまり絡まなくなり、スーパージュニアなどの大舞台で若手に勝ちを譲る場面もある。 覆面レスラーであることに強い誇りを持っており、練習中も簡易マスクを着用している。また、結婚した時も素顔・本名での披露宴とは別に、マスコミ向けに覆面・獣神サンダー・ライガー名義で披露宴を行っている。 有名な試合 [編集] 1994年2月に橋本真也と対戦した際は、通称バトルライガーと呼ばれるツノを取り去った“対ヘビー級戦闘仕様モデル”のマスクと上半身裸のスタイルで戦った。試合は負けたが、橋本相手に勝利に近付く場面もあった。この時見せたビルドアップされた肉体は、身長170cm未満の選手で100kgに満たないジュニアヘビー級クラスの選手の中で、ヘビー級のパワーを持つ『唯一』の選手とも絶賛されている。 グレート・ムタと戦ったときに、ムタに覆面を破られたが、覆面の下には素顔ではなく、白いペイントが施されていた。さらにライガーが自ら上半身のコスチュームを破ると、胸部にもペイントがされていた。奇声を上げ、毒霧を吐き、凶器を使う通常と違うファイトスタイルから一部雑誌では「狂神ライガー」と呼ばれた。この名前はプロレスゲーム『闘魂烈伝』などでも用いられていたが、新日本プロレスの公式ウェブサイトでは「鬼神ライガーと後に呼ばれる様になった」とギミックに若干の修正が行われている。なお、この時は白銀のコスチュームを使用しており、ライガー曰く「あの時だけ」の一度きりの配色である。また、直前の試合でトラブルがあり、このマスクを被って試合をしたこともある(体は普段の赤白のコスチューム)。2006年に非道とのシングルで復活させているが、最初から「鬼神ライガー」というネームでマスクを被らずに登場した。海外では邪神ライガーと表記されていることもある。 青柳政司戦にてマスクを破られ、素顔で最後まで試合を行い、その際に実況のアナウンサーから「山田恵一」と呼ばれた。この試合でマスクを破られ、逆上したライガーの責めはえげつなく、「ナイフを抜いた」と形容された。 試合前にマスクの盗難に遭い、エル・サムライのマスクを被って試合をしたことがある。その際の雑誌掲載時の見出しは「獣神サンダーサムライガー!?」。 2001年の大阪ドーム大会にてバトルライガーとして村上一成と対戦した際にマスクを剥がされるも、長州を始めとするセコンド達により頭に掛けられたタオルを払い除け、堂々と「素顔」を曝け出したまま小川直也とやりあった(この時辻よしなりは、実況で山田恵一の名前を連呼していた)。 2002年11月30日にパンクラスに参戦。パンクラスルールで鈴木みのると対戦した。この時は飾りの少ないマスク姿、タイツもより動きやすいようトランクスタイプで登場した。ゴングの瞬間に突進し、浴びせ蹴りを見舞うというプロレス魂を見せ付けた。結果は敗れたものの、鈴木に再びプロレスに開眼させ、それ以降鈴木は総合格闘技からプロレスに戻った。 タイトル歴 [編集] IWGPジュニアヘビー級王座を11回獲得しており、BEST OF THE SUPER Jr.の優勝3回(「TOP OF THE SUPER Jr.」含む)と共に同タイトルの最多記録である(2005年6月現在)。また、「BEST OF THE SUPER Jr. VIII」では、大会史上初の全勝優勝を達成する。1994年4月にはジュニア・オールスター戦「SUPER J-CUP」を実現させ、第2回、3回と自身も優勝。第4回もザ・グレート・サスケらと組み出場している(本戦は若手中心のトーナメント)。 新日本プロレス IWGPジュニアヘビー級王座 : 11回 (第9代、11代、13代、15代、18代、21代、26代、29代、32代、35代、37代) IWGPジュニアタッグ王座 : 5回 (第3代、6代、8代、10代、20代) パートナーはザ・グレート・サスケ→エル・サムライ→田中稔→金本浩二→AKIRA トップ・オブ・ザ・スーパージュニア優勝 : 1回(1992年) ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア優勝 : 2回(1994年・2001年) プロレスリング・ノア GHCジュニアヘビー級王座 : 1回(第8代) DRAGON GATE オープン・ザ・ドリームゲート王座 : 1回(第7代) 大阪プロレス 大阪プロレス・タッグ ジュニア8冠王座:IWGPジュニアと以下7つのタイトル。後にWARインターナショナルジュニアヘビーの単独防衛戦で敗れたため、7冠となる): 1回(第3代) WWF世界ライトヘビー WWA世界ジュニアライトヘビー UWA世界ジュニアライトヘビー 英連邦ジュニアヘビー NWA世界ウェルター NWAジュニアヘビー WARインターナショナルジュニアヘビー WARインターナショナルジュニアタッグ WCW WCW世界ライトヘビー級王座 : 1回 CMLL CMLL世界ミドル級王座 第2回カンペオン・ウニベルサル優勝 スーパーJカップ優勝 : 2回(2nd.STAGE・3rd.STAGE) 得意技 [編集] 打撃技 [編集] 掌打 骨法の技でライガーはほぼ利き手の左手で使用する。なお、ライガーのものは実際の骨法の掌打のそれではなく、ほぼ掌底打ちに近い。相手の顎を下から打ちぬくアッパー掌打やマウント状態から放つマウント掌打のバリエーションもある。ライガーはこの技をプロレス流にアレンジし、至近距離から連発したり、カウンターの一撃や串刺し式で繰り出すなど多用なバリエーションを見せている。 浴びせ蹴り 骨法の技。前方の相手に向かって前方宙返りする勢いで片足を振り上げ、踵で相手の頭部を打つ。コーナーにもたれかかった相手に追打ちで決める場合が多いが、稀に避けられてふくらはぎを強打することも。 投げ技 [編集] C.T.B(クラッシュ・サンダー・バスター) アトミック・ドロップのように相手を抱え上げ、そのままフェイスクラッシャーの要領で前方に向かって叩き付ける技。 垂直落下式ブレーンバスター ライガーの最も多用するフィニッシュ・ホールド。相手の首に片手を回し、もう片手で相手のタイツをつかむ。そのまま相手を持ち上げ、脳天から落とす技。なお、そもそもブレーンバスターは、現在のように背中から落とす形ではなく、垂直落下形であった。 雪崩式垂直落下ブレーンバスター 文字通り雪崩式で仕掛ける垂直落下式のブレーンバスター。一時期フィニッシュ・ホールドとして多用していたが現在では封印している。 フィッシャーマンバスター フィッシャーマンズ・スープレックスの要領で抱え上げてから、垂直落下式ブレーンバスターのように脳天から落とす。こちらも一時期、雪崩式で繰り出すものをフィニッシュに使用していたが、最近では使わなくなった。 ライガーボム ジャンピングパワーボムと同じように前方に向かって相手を後頭部からマットに叩きつけ、その際受身を取った相手の両腕を足でロックする技。ライガーはさらに腰を落として後方に体重をかけるようにして座り込みながら相手をマットに落とす。 サンダーライガー・ボム 相手を持ち上げた状態でリングの対角線上にランニングをして叩き付けるランニング式のライガー・ボム。近年ではほとんど使用されなくなった。 渾身のパワーボム 叩き付けた際相手の足にのしかかり自身の体重を浴びせてフォールするパワーボム。 雪崩式フランケンシュタイナー コーナー上に座らせた相手の頭を両足で挟むように正面からウラカン・ラナのように跳び付き、自らの体を後方に勢いよく反り、足首を使って投げ捨てる技。フランケンシュタイナーは元々、スコット・スタイナーのフェイバリットムーブだが、雪崩式に応用したのはライガーが最初で、以降空中戦を得意とするジュニア選手を中心に定着していく。公開当初はそのままフォールの体勢に入っていたが徐々に投げっぱなし式のような形へと変化していった。 ジャーマン・スープレックス 素顔時代にフィニッシュとして愛用していた技。ライガーは、リック・スタイナーの影響を受けてから、投げ捨て式を多用するようになった。トップロープから相手を一回転式で投げる雪崩式も時々使用している。 ライガースープレックス(獣神原爆固め) 相手の片手を反対の足の下で掴み、そのままジャーマン・スープレックスに移行する技。小林邦昭とのデビュー戦でフォールを奪った技だが、最近は使っていない。素顔時代の得意技アスナロスープレックスII(飛燕原爆固め)の改良版。 関節技 [編集] 鬼殺し 骨法の技で、腕を絡め取る関節技。骨法を習っていた時に一時期使っていたが、現在は使われていない。 腕ひしぎ逆十字固め 相手が関節技に秀でた相手の場合、対抗してこの技を狙う時が多い。また潰しあいになるときも仕掛ける。 チキンウィングアームロック こちらも上記同様潰し合いになるような試合や格下相手のシゴキ試合のような場面でよく用いられる。スタンド状態から巻き込んで極める巻き込み式も使用。ライガーはこの技を仕掛けた際すぐさまヘッドシザーズに移行することもある。 チキンウィングフェイスロック 主に1980年代から1990年代頃まで使用していた。ほとんどは胴締め式で極める。獣神ライガー時代にはこの技とドラゴン・スリーパーの複合技を披露していた。 キャメルクラッチ 時として悲鳴が上がるほど思い切り締め上げることがある。 足4の字固め 昔から時々使用している。テレビ中継の際解説のマサ斎藤から「ライガーは体が小さいから威力が弱い」と苦言を呈されていた(腕十字も同様のコメント)。 コウモリ吊り(ムルシェラゴ) 自分は片膝状態で、立てた片膝の方向に相手の頭が来るように、うつぶせ状態で両肩に相手を横抱き。自分の首を支点に相手の両足を四の字に交差し伸ばしたほうの足を腕で捕える。相手の胴を内側に折り曲げるようにして片膝状態の内股部分に相手頭部が来るように固定。相手の重みを自分の両肩で受け、その重さを使って四の字にした相手の膝関節を極める。首を支点に使った足4の字固めのバリエーションの一つ。滅多に使わない技。 ロメロスペシャル(吊り天井) 初期のライガーは正調ロメロスペシャルを良く使っていたが、後年はほとんど、吊り天井に行く前の段階でサーフボードの腕を外してそのまま相手の首をドラゴン・スリーパーに捕らえるパターン(変型カベルナリア)が主流となっている。全盛期は正調ロメロスペシャルから変型カベルナリアへの連携を良く見せていた。他にも過去に腕を外した際にチンロックで絞り上げるロメロ・チンロックも見せている。 固め技 [編集] 高角度前方回転エビ固め 相手の肩に側面から飛びついて前方回転して極める。肩車状態の時に後方に方向転換して極める後方回転式や飛びついた際にホイップして極めるホイップ式も使用。最近では使用していない。 スモールパッケージホールド(首固め/小包固め) あまり見せないが時々使用している。 ウラカン・ラナ よく自分から相手に飛びついて極めることが多かった。最近は使われていない。 ラ・マヒストラル 昔からよく使用している。カウンターでカニ挟みから移行して極める連携も見せている。 横十字固め ロープワークから相手のラリアットをかいくぐり飛び付いて決めることが多い。 サムソン・クラッチ ヘビー級と対峙する時などに時折使用している。 飛び技 [編集] トペ・コンヒーロ 場外の相手へ前方宙返りしながら体を当てる飛び技。コーナーポストから飛ぶ形と、ロープを潜りリングから飛ぶ形の2パターンで行う。正調版は主に1990年代中頃に使用していた。現在はエプロンを走って場外の相手にアタックをかけるパターンを多用する。 ラ・ケブラーダ エプロンサイドから場外の相手に対しロープの反動を利用してムーンサルトアタックを行う空中技。元祖はウルティモ・ドラゴンで、若手時代にメキシコで身につけたものを「アサイ・ムーンサルト」として日本に持ち込んだのが最初。バランス感覚と跳躍力が必要な技であり、受身を取りそこなうことも多い非常に危険な技である。こちらも1990年代中頃に使用していた。 フロッグスプラッシュ コーナートップから跳び、空中で手足をカエルのように一度屈伸させてから相手に体を浴びせる技。コーナーからリング内へ飛ぶ技では一番使用頻度が高い。 ムーンサルトプレス リングを背にしてコーナーに登りそのままバック宙、倒れている相手を身体ごとプレスする。主に1990年代中ごろのヘビー級の選手との対戦時に使用。回転の際に斜めに飛んで極めるがこれは本人曰く「鼓膜が破れているため、平行感覚を失っているから」[要出典]らしい、長らく使用していなかったが、近年再び使用し始めた。 シューティングスタープレス リングに向かって正面からコーナーに立ち、両腕を広げ、そのまま前上方にジャンプしながらバック宙をするように体を回転させ相手をプレスする。過去に数回しか使われておらず、最近では使う機会はほとんど見られないが、今でも得意技として紹介されていることが多い(過去にタイガーマスクとの試合で披露している)。素顔時代の凱旋帰国時に披露したオリジナル技である。ライガーに変身以降封印していたが1990年1月31日の佐野戦で封印を解いた。ライガー曰く「バック宙してるのに前に飛んで行く、僕にもちょっと分からない不思議な技」「北斗の拳のレイが使う南斗水鳥拳をモチーフにした」と、雑誌でのインタビューで答えている。もう出来ないのではないか?という憶測に対しては「練習すれば出来る」と答える反面「危険だからもうやらない」と、こちらも、雑誌でのインタビューで答えている。命名者は田中ケロ。 スターダストプレス 空中で複雑な捻りを加えたムーンサルトプレス。 シューティングスタープレス披露後の雑誌での道場取材で「スターダストプレスはもう出来ている」と発言したことでその披露が待たれていたが、再び海外に出た当人が行方不明となったことで技の名前だけが先行していた。 実際に使用されたのは1996年1月4日に東京ドームで行われた対金本浩二戦の1回のみ。後の雑誌インタビューで、「元々はハヤブサのフェニックススプラッシュと同型の飛び技を予定していたが、既に披露されてしまったために新たに試合で披露したような複雑な形になった」と答えている。 空中胴絞め落とし(ルー・テーズ・プレス) ダッシュしてきた相手の胴を自らの両足で挟み込みながら前に倒れこんで押し倒し、上になった体勢のままフォールを奪う技。2009年頃からフィニッシュ・ホールドとして多用されている。ライガーはこの技をカウンターで素早く使うため、プレス技というよりもクイックの色合いが強い。 ライバル [編集] ライガーは自身のライバルとして以下の二人を挙げている。 佐野直喜 新日本プロレス同期入門で、1990年代初頭にIWGPジュニア王座を巡って抗争を繰り広げた。二人の激しい試合を見た先輩レスラーが「お前らそのうちどっちかが死ぬぞ」と言ったエピソードも残っている。 その後、佐野はUインターへ移籍し新日とUインターの対抗戦ではライガーの希望で両者のシングルが組まれ名勝負の再現として注目を集めた。試合でも佐野がU系のレスラーとしては異例のトペ・スイシーダやタイガー・スープレックスを出し、勝利した。 2009年のライガーデビュー20周年記念試合ではタッグを結成した。 クリス・ベノワ 新日に練習生として留学した後に覆面レスラーペガサス・キッドとして来日。ライガーからIWGPジュニア王座を奪取した。1991年にはマスカラ・コントラ・マスカラで対決し、ライガーが勝利してペガサスがマスクを脱いだ。 その後もIWGPジュニア戦やベスト・オブ・ザ・スーパージュニアでの激闘、ジュニア・フォー・ホースメンの結成などで時には味方、時には敵としてライバルストーリーを紡いでいったがクリスのWWE移籍で疎遠となった。 そして2007年クリスは死去し、二人の再戦は実現できなくなった。それ以降ライガーはインタビューなどでクリスとの思い出を聞かれても「自分の中で大切に取って置きたい」との考えから一切語らないようにしている。 プロレス以外の活動 [編集] カレーマンの入場時に一緒にカレーダンスを踊ったり、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』ではマスクしてるのにもかかわらず五木ひろしのエアーものまねをしてみたり、「全身タイツ隊」のメンバーとしても出演し、メンバーと同じ奇妙な動きを見せるなど、芸達者な一面もある。 また、上記のようなテレビ出演やファミ通で人生相談コーナーを持っていたりしたこともあるなど、リングの外での活躍も多い。『象印クイズ ヒントでピント』などのクイズ番組や『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演したこともある。2006年10月から2007年3月にかけてはパチスロ番組『ゴールデンスロット』に準レギュラー出演していた(ただし、番組内でボーナス絵柄の目押しに苦戦する様子などが放送されていることから、ライガー自身はパチスロは素人である模様)。 2006年5月20日、千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテマリーンズ対中日ドラゴンズ戦の始球式を務めた。 2007年2月24日放送の『めちゃ×2イケてるッ!』に出演した。そこで、「僕、閉所恐怖症なんです。」と自分の短所を告白した。 2007年7月16日放送の『くりぃむナントカ』芸能界ビンカン選手権では、仕掛け人として素の姿(バックショットのみ)で出演した。 2009年6月9日放送の『アタシんちの男子』に同じ新日本プロレス所属の後藤洋央紀、棚橋弘至、岡田かずちかと共に出演。 2010年11月10日に放送された『シルシルミシル』で、県境を日本一多くまたぐ道路「高野龍神スカイライン」をリングネームと語呂が似てると言うことでレポートした。 マスクの種類 [編集] デビュー戦使用 その他 [編集] 新日本のレスラーは抗争や因縁アングルを進める時は「潰す」や「殺(や)っちゃう」という語彙を多用するが、ライガーが10年以上使い続けているのは「ぶち殺す」という表現である。 大の特撮マニアである。AKIRAが仮面ライダークウガに出演した際、控え室で野上にいきなりグロンギ語(作品内の架空言語)で話しかけ困惑させたことがある。 プロレスはリング上で繰り広げられる「芸術」であると述べたことがある。 フジテレビのドラマ『世にも奇妙な物語』の『覆面』というエピソードに出演(声は吹替)。 小学校の頃、将来は動物園の飼育員になりたかったらしい。 ヤングライオン時代のあだ名は「ハチ」。 非常に悪戯好きである。後輩の天山広吉がトイレに入ったところへロケット花火を打ち込むなどエピソードは枚挙に暇が無いが、井上亘には悪戯を見破られて大変悔しそうにしていたというエピソードも。 夫人はスペル・デルフィンのファンで、飼い犬に「デルフィン」という名前をつけるほど。 ライガーは当初武藤敬司にやらせる予定だったが、武藤が難色を示したため変更となった、という話がある。 新人育成のために船木誠勝と共に少々過激なことをしていたと告白している。一例として熱湯(50-60℃位らしい)を満たした湯船に新人を放り込み、フタをした上にライガーが乗って「熱ければ自分で出てこい!」というもの。ライガーはこれを「どれだけ必死になれるかを試している」として、「ここで出てこれたヤツは大丈夫。しかし、出てこられないとふたを開け、『おまえはもう田舎に帰れ。プロレスラーには向いていない。』と諭した」と、週刊プロレスの取材で語った。 藤波辰爾を尊敬しており、藤波が作ったドラゴンボンバーズのメンバーだった。 デビュー当初から、地毛を出した独特のマスクであったが、2010年後半より、マスクに毛を張り付けた物に変更された。 |
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邪道(じゃどう、1968年9月28日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名は秋吉 昭二(あきよし しょうじ)。東京都港区出身。
目次 [非表示] 1 人物 2 経歴 3 タイトル歴 4 得意技 5 リングネーム 6 入場テーマ曲 7 関連項目 8 外部リンク 人物 [編集] デビュー以来一貫して「兄弟」こと外道とのコンビで活動している。外道とのタッグは後記するパニクラ時代も含めて15年以上もほぼ断続的に活動しており、現存するタッグチームでは国内最長である。過去の参戦団体を見た場合、外道と共にその団体を離脱すると活動停止となることが非常に多い。 また、レスラーとしてのキャリアのほとんどをヒールとして活動し、外道と共に過去さまざまなヒールユニットに在籍している。 インディー団体出身選手ではあるが最近では、プロレスの価値観が他の新日本の選手と同じく「自分達が一番」と主張し、他団体を見下す発言を繰り返している。特に、かつての同士だった金村キンタローを「デスマッチしかできない奴」と批判。 新日本プロレスに参戦した当初、外道共々「女性ファンから声援を送られて、(FMW時代と比べて)違和感があった」と週刊プロレスのインタビューで答えている。特に邪道は顔立ちが整っていたため、女性ファンから「さん付け」で声援されることが多い。今でも、女性人気は高い。 外道に比べて喋ることは少ない。外道との区別は、背の高い方、タトゥーを施している方で、入場時に頭にバンダナを巻いて出て来るのが外道である。また、嗜好では外道は下戸の上、タマネギアレルギーである。(一方の邪道は酒もいける口で、食べ物の好き嫌いは無い) 一方、安沢明也が引退をするときは送別会で餞別を渡すなど、リングを降りると面倒見のいい先輩としても有名。プライベートでは子煩悩な一面も持ち、うなじにある「杏」というタトゥーは娘の名前である。 レスリング・マスターと言うニックネームには「まだまだ極めていないし、まだそんな顔(実力が伴っていないの意味)じゃない」と困惑している一面もある。 経歴 [編集] 1988年、たけしプロレス軍団 (TPG) のオーディションに合格してプロレス入り。当初のリングネームは本名の秋吉昭二。 デビュー戦は、1989年3月19日オランダ・アムステルダムのエイデンホールにおける、モンキーマジック・ワキタ(現・スペル・デルフィン)戦。同年、旗揚げ直後のFMWで1試合のみ、ベトナム難民出身と言うギミックの覆面レスラー『ボートピープルジョー』として試合を行っている。 1990年3月、ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げに参加。クーリー・SZ(しょうじ)のリングネームでブルドッグ・KT(後の外道)と共に、タッグチーム『パニッシュ&クラッシュ(略称:パニクラ)』を結成。ロード・ウォリアーズのオマージュ・キャラクターのような出で立ちで活躍。この頃に後記する合体技、スーパーパワーボムを開発し、この技でデルフィンを沈めている。後に、クーリー"クラッシュ"SZ(しょうじ)と改名。 1991年4月、ブルドッグと共にメキシコ遠征に出発。同年11月に帰国し、UWA&UWF認定インターコンチネンタルタッグ王座を獲得。 1992年11月、ブルドッグと共にフリーに転向。現在のリングネーム邪道に改名し、再度、メキシコ遠征に出発する。 W☆INGなどのインディー団体を渡り歩き、1994年2月、外道と共にWARに主戦場を移してからは、冬木弘道、外道とともに冬木軍を結成し、メジャー・インディー問わずに暴れまわる。この頃、龍魂継承者決定リーグ戦で優勝を果たしてしまい、全く受け継ぐつもりなどない天龍源一郎の魂を受け継いだ。また、ヘビー級時代(当時110kg)に、まだ線の細かった高山善廣(当時105kg)にシングル戦にてラリアットで勝利したことがある。 1997年2月、FMWに再登場してからは、金村やミスター雁之助らと「ブリーフ・ブラザース」というユニットを結成。リング上でコントを演じたりもした。12月には山川竜司&田尻義博組を破りBJW認定タッグ王座を獲得。 1997年1月、山川竜司&田尻義博組に取り返される形でBJW認定タッグ王座から転落。 1999年12月11日、FMW後楽園ホール大会でリッキー・フジ&フライングキッド市原&チョコボール向井組を破り、外道&中川浩二と共にWEW6人タッグ王座を獲得。 2000年4月25日、東京・渋谷ON AIR EASTで冬木弘道&井上京子&チョコボール向井組に敗れ王座転落するも、5月3日、博多スターレーン大会において外道&中川浩二と共にWEW6人タッグ王者に返り咲く。しかし5月28日の後楽園大会でまたしても冬木弘道&井上京子&チョコボール向井組に敗れ王座転落。9月17日にはディファ有明大会でパートナーを外道&中山香里に変更し、3度目の同王座獲得。 2001年1月27日WEW6人タッグ王座を返上。2月、外道、田中将斗、中山香里と「コンプリート・プレイヤーズ」を結成し、同月11日に外道、田中将斗とコンプリート・プレイヤーズとしてタッグで、WEW6人タッグ王座決定戦を冬木弘道&GOEMON&怨霊組と行いこれに勝利。4度目の同王座獲得するも、わずか10日後の2月21日に外道、田中将斗と共にFMWを離脱。再度フリーへと転向し、同王座は空位となった。その後、大日本プロレス、格闘探偵団バトラーツなどのインディー団体を中心に参戦し、同年6月、外道と共にTEAM 2000のメンバーとして新日本プロレスに参戦。体重を落とし、ジュニアヘビー級にその主戦場を移す。この頃から外道と共にプロレス界には珍しく科学的なトレーニングを取り入れ肉体改造を行い、筋骨隆々な肉体へと変貌を遂げ始める。同年7月20日、獣神サンダー・ライガー&エル・サムライ組を破り、外道と共にIWGPジュニアタッグ王者となった。さらに外道とのタッグは、プロレス大賞の年間最優秀タッグ賞を受賞した。 2002年、IWGPジュニアタッグ王座6度目の防衛を達成し、同王座歴代最多防衛記録を更新するも、同年5月2日、獣神サンダー・ライガー&田中稔組に敗れ、王座転落。 2003年10月13日、東京ドーム大会で4代目タイガーマスクが返上したIWGPジュニアヘビー級王座を賭けて行われた時間差バトルロイヤルで優勝。自身初の国内シングル・タイトルを獲得。さらに11月29日、金本が負傷のため、返上したIWGPジュニアタッグ王座をかけて宮城県スポーツセンター大会で田口隆祐&後藤洋央紀組と対戦。外道と共に同王座2度目の獲得を果たし、12月14日、名古屋レインボーホール大会でヒートに敗れ、IWGPジュニアヘビー級王座を失うまでジュニア二冠王者となった。 2004年3月12日、国立代々木競技場第2体育館においてカレーマン&アメリカン・ドラゴン組に敗れIWGPジュニアタッグ王座も失う。しかし6月5日、大阪府立体育会館大会でのリターン・マッチに勝利し外道と共に3度目のIWGPジュニアタッグ王座を獲得し、ライガーらとC.T.U(Control Terror Unit)を結成。 2005年3月4日、後楽園ホール大会で金本浩二&井上亘組に敗れ王座転落するも5度の防衛を記録し、またしても長期政権を築いた。 2006年7月8日、ツインメッセ静岡でエル・サムライ&田口隆祐組を破り、外道と共に4度目のIWGPジュニアタッグ王座を獲得。同年には天山広吉に対してトレーニング指導を行った。 2007年5月2日、後楽園ホール大会でディック東郷&TAKAみちのく組に敗れ王座転落。同年7月、C.T.U解散(公式的な解散は8月26日)に伴い、天山率いるG・B・Hへ加入。天山が追放され真壁刀義が新たなリーダーとして陣頭指揮を取るようになると、それに追随してG・B・Hとして活動を続ける。 2009年4月、矢野通の裏切りによってG・B・Hが空中分解した後は、矢野に追随する形で新ユニットCHAOSを結成。同年5月30日より開催されたベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに参戦、3勝3敗の成績で予選リーグ敗退。同年8月30日、後楽園ホールにて邪道、外道デビュー20周年記念興行を開催。外道と共にメインで登場し、プロレスリング・ノア所属の金丸義信&平柳玄藩組と対戦。クロスフェイス・オブ・JADOで平柳を下し、外道と共に有終の美を飾ったが、全日本参戦時代にタッグを組んだこともあった金丸との因縁が勃発。10月3日、ノアの大阪府立体育会館大会で金丸&鈴木鼓太郎組が持つ、GHCジュニアタッグ王座に挑戦するも外道が金丸からフォール負けを喫し、敗戦。 12月4日に外道と組んでIWGPジュニアタッグ王座に挑戦する予定だったが、2日の試合で金本のキックを頭に受けた外道が昏倒してK.O負けを喫し、検査の結果脳震盪と診断され、1週間安静と言い渡される。そのためタイトルマッチは中止となってしまった。22日にはスーパーJカップに参戦。1回戦でDDTプロレスリング所属の男色ディーノと初対決。ディーノの男色殺法に付き合わず(あえて付き合わないことでディーノの男色殺法を際立たせるとも見ることができる)逆水平チョップを幾度となく繰り出し、ディーノの胸を真っ赤に腫れ上がらせるも、この日のために用意した(ディーノ談)、ゲイ道クラッチに敗れる。皮肉にも長年のタッグ・パートナーである外道の得意技、外道クラッチの男色バージョンの前に1回戦で敗れ去った邪道は試合後、「執念だな。あいつ(ディーノ)のデヴィットとやりたいっていう執念に負けた。」とコメントを残した。 2010年2月14日、田口隆祐、プリンス・デヴィットの持つIWGPジュニアタッグ王座を賭けたタイトルマッチが組まれていたが、1月31日に行われた試合中にケニー・オメガが放ったラ・ケブラーダをまともに食らい昏倒、レフェリーストップ負けを喫した。試合後も動かない邪道は担架で運ばれ退場し、心配するファンからも声援が飛んだ。後日の検査の結果で頸椎捻挫と診断されシリーズも全戦欠場。タイトルマッチはまたもや流れてしまった。 タイトル歴 [編集] 新日本プロレス IWGPジュニアヘビー級王座 : 1回(第45代) IWGPジュニアタッグ王座 : 4回(第7代、11代、13代、17代)(&外道) 最多戴冠回数、最多連続防衛、最多通算防衛記録を保持。 ジュニアトライアスロンサバイバー優勝 WEW WEWタッグ王座 WEWハードコアタッグ王座 : 1回(第4代) WEW6人タッグ王座 : 4回(第2代、6代、10代、11代)(&外道、中川浩二x2→&外道、中山香里→&外道、田中将斗) DRAGON GATE IJタッグ王座 WAR WAR世界6人タッグ王座 FMW FMW世界ストリートファイト6人タッグ王座 WWC WWCカリビアンヘビー王座 UWA UWA世界6人タッグ王座 UWA&UWF認定インターコンチネンタルタッグ王座 大日本プロレス BJW認定タッグ王座 : 1回(第3代) プロレス大賞 2001年プロレス大賞 年間最優秀タッグ賞(&外道) 得意技 [編集] 外道に比べあまり細かなテクニックを感じさせるような動きは見せず、鍛え上げられた細身の身体ながら、直線的でオーソドックスなパワーファイトを展開する。クリス・ベノワから影響を受けた技を多数使用。 クロスフェイス・オブ・JADO いわゆるクロスフェイス。邪道の場合、自身の右手首を左手で固定して締め上げる。 クリス・ベノワのクロス・フェイスや永田裕志のナガタロックIIとは若干形が異なるが、本人はSアリーナに出演した際、ナガタロックIIとの違いをFAXでファンから質問を受け「一緒だよバカヤロー」と一蹴にふしている。 ウエスタン・ファミリアット 邪道の使用するラリアットの名称。“ブレーキの壊れたファミリア”という意味が込められている。 逆水平チョップ 邪道が試合を展開する上で基本となる技。激しい炸裂音を鳴らすこともしばしば。 ビューティフルパントキック 相手を倒した後起き上がるのを待ち構え、四つん這いの体勢になった相手に助走をつけて近づきながら振り上げた足の甲で相手の腹部を蹴り上げる。 雪崩式ブレーンバスター トップロープ上から放つことが多い。 ロコモーション・ジャーマン・スープレックス 持ち上げて背中から落とすように連発してホールドしない。3連発が多いが3発目で切り返されることもしばしば。 オリンピック・スラム 最近ではあまり使用しない。 パワーボム これも最近ではあまり使用しないが、過去に高速で叩き付けるパワーボムを使用していた時期があった。 邪道ボム クロスアーム式シットダウン・パワーボム。みちのくドライバーIと同型。かつて使用していたが近年では全く使用しない。 スーパーパワーボム パートナー(主に外道)がブレーンバスターで持ち上げ、コーナー上にいる邪道がそれをキャッチしてのアシストつきパワーボム。 リングネーム [編集] 現在、過去に用いたことがあるリングネーム 邪道(現在も使用中) クーリー"クラッシュ"SZ クーリー・SZ ボートピープルジョー 秋吉昭二(本名) 入場テーマ曲 [編集] Sharp Dressed Man / ZZ Top Whassup Dawg? Caboose / Sugar Ray |
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後藤 洋央紀(ごとう ひろおき、男性、1979年6月25日 - )は、日本のプロレスラー。新日本プロレス所属。三重県桑名市出身。
目次 [非表示] 1 来歴 2 人物 3 得意技 4 タイトル歴 5 入場テーマ曲 6 脚注 7 外部リンク 来歴 [編集] 三重県立桑名工業高等学校時代は柴田勝頼と同級生であり、共にレスリング部を立ち上げていた。 国士舘大学へ進学後、レスリングで上位入賞を果たした。大学時代の後輩にプロレスリング・ノアの伊藤旭彦、先輩にプロレス同期入門の山本尚史がいる。大学卒業後新日本プロレスに入団するが、肩の怪我のため一旦新日本を退団した。新日本が経営する闘魂ショップ名古屋店併設の道場でトレーニングを重ねた後に2002年11月に新日本プロレスに再入団を果たした。2003年7月6日の岐阜産業会館における田口隆祐戦でデビュー。 同年にはデビュー戦で対戦した田口と組み、邪道、外道とIWGPジュニアタッグ王座決定戦を争うなどタッグで活躍。2004年のヤングライオン杯ではその田口に敗れ涙を飲んだが、翌年2005年ヤングライオン杯で見事優勝を果たした。 同年4月にC.T.Uに加入すると天然キャラを見出され、先輩の獣神サンダー・ライガー、邪道、外道らを差し置いてリーダーとして(形の上だけ)活動。5月に稔と組んで金本浩二&井上亘組からIWGPジュニアタッグ王座を獲得。エル・サムライ&田口組に敗れるまで3度の防衛を果たした。12月の「夢☆勝ちます」では棚橋弘至の持つIWGP U-30無差別級に挑戦するも敗北。 2006年の4月と5月にそれぞれTNAへ遠征。8月にはメキシコへ無期限海外遠征に出発。 2007年に髪を伸ばし今の容姿に。同年3月4日にはウルティモ・ドラゴン、TAJIRIらが参戦した闘龍門MEXICO自主興行で行われた8人参加トーナメント「〜YAMAHAカップ NWAインターナショナルJrチャンピオンシップトーナメント〜」でショッカーを破り優勝。22年ぶりに復活したNWAインターナショナルジュニア王座を載冠した。それまで91kgだった体重を同年の6月に103kgまで増量。8月26日「LAST OF C.T.U」興行で凱旋帰国予定だったが、棚橋弘至の欠場を受け日程が前倒しとなり、8月25日の大会で凱旋試合。ヘビー級転向を宣言した。 2007年の10月に両国国技館でかつての師匠天山広吉とシングルで対戦。大流血の末、必殺の昇天で勝利。この試合で後藤が繰り出した変形バックブリーカー(後の牛殺し)で天山は頸椎負傷し長期欠場に。11月にはついに棚橋弘至が持つIWGPヘビー級ベルトに初挑戦。31分を超える文字通りの死闘を繰り広げたが、テキサス・クローバーホールドで敗北。 2008年の1月にあっては、7年と8か月ぶりに新日本へ降臨したグレート・ムタと初遭遇を果たし、変幻自在の極悪殺法に敵わずムーンサルトプレスであえなく敗北を喫した。3月に行われたNEW JAPAN CUP(NJC)では棚橋弘至との対戦がいきなり1回戦で実現。“事実上の決勝戦”と称された戦いだけあって両者激しい攻防戦を繰り広げたが、最後は首固めで敗れリベンジは失敗に終わった。 同年8月にG1 CLIMAXに初出場。自身も「初出場・初優勝を狙う」と発言しており優勝候補と目されていた。初戦の川田利明戦で黒星を喫するも、その後は着々と白星を重ねていき、8月17日に見事決勝進出を果たした。決勝戦では真壁刀義と対戦。場外でのイス攻撃とG・B・Hのセコンドの介入などにより流血を負いながらも最後は昇天・改で勝利。2003年7月にデビューしてからわずか5年のキャリア、そして初出場ながら“夏男”の称号を獲得した。後日8月31日、全日本プロレスでは史上初となるIWGPヘビー級王座戦が行われ、王者武藤敬司と対戦。追い込む場面がいくつか見られたもののキャリアの差もあったのか、最後はムーンサルトプレスで敗退。 その後、真壁刀義、矢野通が所持するIWGPタッグ王座に的を絞り、9月5日に中邑真輔とタッグを組み挑戦。ところが、試合終盤同じRISEメンバーだったはずのジャイアント・バーナードとリック・フーラーが乱入しG・B・Hと結託し、最後は真壁のキングコングニー・ドロップを受け惨敗。試合後、G・B・H勢とバーナード、フーラーに袋叩きされるもここで救出に駆けつけた棚橋弘至と握手を交わす。本隊と共に打倒G・B・Hをアピールすると10月13日にRISEを裏切ったバーナードと一騎打ちを行う。あと一歩のところまで追い詰めたが、やはりセコンドの介入があり最後はバーナードライバーで沈んだ。 2009年の1月にプロレスリング・ノア対抗戦に出陣。中邑と共に“ノアの象徴”三沢光晴、杉浦貴組と対戦。最後は中邑が杉浦を飛びつき式腕ひしぎ逆十字固めでタップを奪った。「文句があるならいつでもやってやる」という中邑の発言に対し、三沢もホームアウェイ問わず団体対抗戦継続の意思を表した。 3月に行われたNJCには2年連続で出場。1回戦でカール・アンダーソンを下し、2回戦では同期の中邑、準決勝で第三世代最後の砦とも言われた永田裕志に勝利し、決勝戦でジャイアント・バーナードを変型腕固めで1本勝ちを収め、昨年のG1優勝に続き春夏連覇を果たした。 5月になると8年振りに“レスリングどんたく”と冠が付けられ、3年ぶりに開催した福岡国際センターでNJC覇者として棚橋弘至とIWGPヘビー級王座を賭けて再び対戦。3度目の正直を誓うもやはり執念が棚橋の方が上だったかハイフライフローであえなく敗戦。5月5日では岡田かずちかと組み、杉浦貴、青木篤志組と対抗戦を行う。ハードヒットな打撃戦が展開され、最後は岡田が杉浦のオリンピック予選スラムで轟沈。6月20日では杉浦とのシングルマッチが組まれたが、敗北を喫す。さらに8月のG1 CLIMAX 2009公式戦で再び対決するも、やはり最後は雪崩式オリンピック予選スラムで惨敗。この敗戦で屈辱の予選落ちとなった。 それから程なくして真壁刀義と組み矢野通、ZERO1の田中将斗とハードコアルールマッチで対戦。今年のG1覇者と昨年の覇者の強力タッグだったが、矢野と田中が凶器をうまく使いこなし、終始ペースを握った。最後は田中のスライディングDの前に撃沈した。リベンジを誓うべく11月8日、田中と初のシングルマッチ。一気に攻め込んでいき必殺技を狙うも田中は全てクリアし、最後は側頭部へのスライディングDを叩き込み敗戦。「もう一回やらしてくれ」と後藤はさらに対戦を要求し、12月ついに田中から昇天3連発でピンフォール勝ちを収めた。 2010年の1月から杉浦貴とGHCヘビー級王座を賭けて対戦するも足首固めで敗退し3連敗を喫した。2月にはハードコアルールで再び田中将斗と対戦。エルボーパッドに鉄パイプを仕込んだスライディングDをまともに喰らい無念の敗北。3月のNEW JAPAN CUPでは前年度優勝者だったことからシード権を獲得し出場。高橋裕二郎に勝利に収め、準決勝で改めて田中を撃破した後、決勝戦で真壁刀義と対戦。これに勝利し史上初となる2連覇を達成した。 4月4日、IWGPヘビー級王者中邑真輔に挑戦。同期のライバル対決として注目を浴びるも最後はボマイェで防衛を許した。 10月11日に両国で中邑真輔と対戦。昇天・改で勝利してIWGPへ名乗りを上げた。 人物 [編集] 「週刊プロレス」で邪道が執筆する「CTU珍遊日記」では笑いを提供するキャラとして毎回登場し、「アホの後藤」呼ばわりされている。 趣味は『pop'n music』をすることと「週刊プロレス」で発言している(海外遠征前)。 2009年10月15日に結婚・入籍していたことが、翌2010年1月の契約更改の際に明らかになった。2010年中に結婚式を挙げたいとの意向を示している[2]。 得意技 [編集] 昇天 メキシコ遠征中に開発した。ブレーンバスターの体勢で垂直に担ぎ上げ、振り子のように前に落としつつ、勢いづいた相手をロック・ボトムの形でマットに叩きつける。マット・モーガンの得意技マウント・モーガン・ドロップとほぼ同型。 昇天・改 現フィニッシュムーブ。メキシコ遠征中に開発した昇天の改良版。上記の通りに担ぎ上げ、浴びせ倒す際にその勢い様にエルボー・ドロップを突き刺す、 昇龍結界 うつ伏せの相手の片腕を自分の足を利用してハンマーロックに極め、もう片方の相手の腕に腕固めを決める。この技でジャイアント・バーナードを下し、NJC優勝を果たした。ちなみに全日本プロレスの土方隆司が、シルバーキングから世界ジュニアヘビーのベルトを取った時の変形型腕固め、同団体の小島聡が使用するコジMAXホールドとは若干異なるが、きき方、きき部位は略同じである。 牛殺し ファイヤーマンズキャリーで持ち上げた(もしくはフィッシャーマンの体制で相手を持ち上げた後、移行した)相手の頸椎のあたりが自分の片膝に当たるようにファイヤーマンズキャリーの要領で前方、もしくは側方に投げ落とす変型のネックブリーカー。無防備な状態の後頭部はもろに膝にあたるために大きなダメージを与えることができる。凱旋帰国後から使用。この技で天山を欠場に追いやったことから天山のニックネームの牛が付いた。原型は欧州に古くからある技でこちらは単にネックブリーカーとも呼ばれる。この技に行くと見せかけてストマックブロックに移行するフェイントも時折使用する。 地獄車 リストクラッチ式アングル・スラム。ヘビー級に転向を機に封印していたが、近年では布石として時折使用し始めた。過去にゴー・トゥー・ヘブンという名称としても使用されていた。 ラリアット 主にカウンター式で使うが後藤の場合、ロープへ走った相手の背後を追走してから放つ。また、スライディング式も使う。 特攻(ブッコミ)ラリアット ショートレンジ式ラリアット。フィニッシュムーブとして使うこともある。一時期は昇龍拳という名前で使用していたこともあった。 村正 カウンターのフライングニールキック。リング内よりも場外、選手やレフェリーを踏み台にしながら放つ使用頻度が高い。ちなみにプロレスリング・ノア所属の丸藤正道も同名の技を使用するが、技は全く異なるものである。 PK 盟友・柴田勝頼の得意技。 ノーモーション・ヘッドバット 打撃合戦の際、不意に相手の顎または喉元へと突き刺す。絶妙のタイミングで繰り出す。 ゴトウスペシャルシリーズ I うつ伏せになった相手の上半身をチキンウィングフェイスロックに捕らえ、体を反転させ胴体を両足で締め上げる。 II うつ伏せになった相手の両足を交差させるように固めながら体を反転させる変形足4の字固め。 III 上記の通りに足を交差させ、自らはマットに背中を付き相手の両足を吊り上げた状態からダメージを蓄積させる。 足極めエビ固め うつ伏せになった相手の両足を固め、相手もろとも体を右方向へと回転し、相手がうつ伏せの状態になったところで回転を止める。その後、上半身を起こしながら体を左方向へと軽く捻り、その勢いで相手の体を仰向けにひっくり返して相手の両肩をマットにつけさせ、上から膝を落としつつ、押さえつけることでフォールを奪う。 回天 相手の股間をすり抜けてエビ固めの要領で丸め込むラナ。ルチャリブレのスペル・ラナという技と同型。スペル・シーサーの考案によるもので、シーサー自身はヨシタニックとして使用している。 雪崩式回天 ヘビー級転身後から使い始めた技。主に大一番で使用してる。こちらはスペル・ラナの形よりも純粋な前方回転エビ固めの形を雪崩式で仕掛けている印象が強い。 雪崩式ネック・ブリーカードロップ リングに背を向けるような体勢にしてコーナー最上段に乗せた後、相手の首を捕らえ自らの右肩に叩きつける。 オレ竜 首へのドラゴンスクリュー。 野武士固め 尻餅状態の相手にコブラツイストとヘッドロックの複合技の様なストレッチ。 ビクトル式腕ひしぎ十字固め 相手の後方から肩の上に飛び乗って腕を取り、そのまま前方回転して相手を寝かせ、腕ひしぎ十字固めを決める。地獄車開発以前のフィニッシュ・ホールド。 タイトル歴 [編集] IWGPジュニアタッグ王座(第15代、パートナーは稔) NWAインターナショナルジュニアヘビー級王座 第10回ヤングライオン杯 優勝 G1 CLIMAX2008 優勝 NEW JAPAN CUP 2009・2010 優勝 J SPORTS CROWN 2010 優勝(パートナーは田口隆祐・プリンス・デヴィット) 入場テーマ曲 [編集] Rock Me Wild 「秀吉」テーマ音楽 Where Are We Runnin' ? / Lenny Kravitz ヤングライオン時代は1972年 - 1979年の新日本プロレスのオフィシャルテーマ曲であった。 |
