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獣神サンダー・ライガー(じゅうしんサンダー・ライガー、1989年4月24日 - )は、日本の覆面レスラー。新日本プロレス所属。本名は非公開。永井豪宅出身、もしくは広島県広島市[1]。血液型AB型。
上記のプロフィールはライガーとしてのもの(#正体についてを参照)。 目次 [非表示] 1 正体について 2 来歴 2.1 山田恵一 2.2 獣神サンダー・ライガー 3 人物 4 有名な試合 5 タイトル歴 6 得意技 6.1 打撃技 6.2 投げ技 6.3 関節技 6.4 固め技 6.5 飛び技 7 ライバル 8 プロレス以外の活動 9 マスクの種類 10 その他 11 脚注 12 外部リンク 正体について [編集] 正体は新日本プロレスに所属していた山田 恵一(やまだ けいいち、1964年11月30日 - )だと、初めて登場した際の中継放送では伝えられているが、その後はあくまでも正体は謎という扱いになっている。 実際、テレビ出演の際のライガーのプロフィールが山田のものだったことや、当時の週刊プロレスでも山田→ライガーの特集記事が組まれたこともあった。しかし、ライガー自身は「山田は死んだ。リヴァプールの風になった」と発言している。 来歴 [編集] ここではライガーと関係が深いとされる山田恵一の経歴も記載する。 山田 恵一 プロフィール リングネーム 山田 恵一 本名 山田 恵一 ニックネーム シューティングスター あすなろ戦士 飛燕 身長 170cm 体重 95kg 誕生日 1964年11月10日(46歳) 出身地 広島県広島市中区 所属 新日本プロレス スポーツ歴 レスリング 骨法 トレーナー 藤波辰爾 山本小鉄 藤原喜明 堀辺正史 デビュー 1984年3月3日 引退 (1989年1月頃に消息を絶つ) 山田恵一 [編集] 広島県広島市中区出身。広島電機大学付属高等学校(現・広島国際学院高等学校)在学時からレスリングで頭角を現し、国体にも出場した。 高校卒業後、新日本プロレスの入門テストを受験。体力テスト等は合格基準を満たしたが、身長が低かったために不合格にされる。(公称として身長を170cmとされているが、実際は160cm台である)その後単身でメキシコに渡り、そこで出会ったグラン浜田を通じて山本小鉄を紹介してもらい、社員として新日本プロレスに入社し、その後も個人的に練習を続け入門が認められ、1984年3月3日、小杉俊二戦でデビュー。 1985年に光文社『ジャストコミック』(廃刊)で連載された『スープレックス山田くん』(監修・古舘伊知郎、作画・国友やすゆき)の主人公のモデルになっている。 第1回ヤングライオン杯において決勝戦で小杉俊二に敗れ、優勝を逃す。しかしこの頃から、若手らしからぬテクニックを魅せ、ジャーマン・スープレックスで同じく若手であった橋本真也にフォール勝ちし、海外遠征から凱旋帰国した後藤達俊にもエビ固めで勝利する。さらに異種格闘技戦も経験。ドン・中矢・ニールセンとも対戦し、善戦するもKOで敗れる。第2回ヤングライオン杯で優勝を果たしてから海外修業も経験する。遠征中は「フジ・ヤマダ」のリングネームを名乗りローラーボール・マーク・ロコ(初代ブラック・タイガーの正体)から欧州レスリング連盟ミドルヘビー級王座を獲得するなど活躍した。この時期の新日本ジュニア戦線は、越中詩郎、ザ・コブラ、小林邦昭、ヒロ斎藤、保永昇男、UWFから高田伸彦(現:高田延彦)、山崎一夫、ジャパンプロレスの馳浩、海外からはオーエン・ハートなど錚々たるメンバーが揃う第2期黄金期であり、山田もその一翼を担っていた。その影で山田は、藤原喜明の通称「藤原教室」でカール・ゴッチ源流の関節技を、また同時期に若手の船木優治(現:船木誠勝)と共に、当時まだあまり知られていなかった新進の格闘術「骨法」をいち早く学んでいる。 身長のハンデがあったため新日本プロレスでもトップクラスの練習量を誇り、通常の興業が行われる場合に若手は雑務に追われることが多い中、会場設営・アントニオ猪木のスパーリングパートナー・藤原教室・グッズ販売・自身の試合・先輩レスラーのセコンド、更にわずかな空き時間を見つけては階段ダッシュと7時間以上動きっぱなしということも日常茶飯事だった。 1989年1月のイギリス遠征中に消息不明になったとされている。 獣神サンダー・ライガー [編集] 獣神サンダー・ライガー、2007年6月17日、後楽園ホール 1989年4月24日、東京ドームにて小林邦昭戦で全身をコスチュームで覆った獣神ライガーとしてデビュー。ライガースープレックス(獣神原爆固め)で勝利を収めると、翌月の5月25日には馳浩を破り、IWGPジュニアヘビー級王座を獲得し第9代王者となった。 ギミックのモチーフとなったのは永井豪原作の漫画『獣神ライガー』で、当時放映されていたアニメにシンクロして獣神ライガー→ファイヤーライガー→獣神サンダー・ライガーへと変化している。 1990年代前半はIWGPジュニアヘビー級王座を巡り保永昇男、佐野直喜(現:佐野巧真)、ペガサス・キッド、エル・サムライ、2代目ブラック・タイガー、野上彰(現:AKIRA)らと激闘を展開。これ以降、日本ジュニア界の中心人物とて活躍していくことになる。 また他団体との交流戦・対抗戦が盛んになると、積極的に動いて他団体選手の新日本参戦に尽力し、ザ・グレート・サスケ、ウルティモ・ドラゴン等と団体の垣根を越えて協力し、ついに1994年にスーパーJカップを開催、成功を収めた。しかし、同年愛知にて行われたメインイベント、ライガー&長州力組対ワイルド・ペガサス&武藤敬司組の試合で、足を骨折する。 その一方で新日本内部のジュニア活性化も行い、1990年代中頃からエル・サムライ、ケンドー・カシンらと組み、一世代下の金本浩二、大谷晋二郎、高岩竜一らと戦い会場を沸かせていた(もっともカシンは一世代下であるが、カシンが偏屈な性格であることと覆面レスラーという共通点もあり、ライガー側となっていた)。特にディーン・マレンコ、ワイルド・ペガサス(ペガサス・キッドから改名)、2代目ブラック・タイガーの4名は「ジュニア・フォーフォースメン」(当時WCWで一斉を風靡していたユニット「フォー・ホースメン」にちなむ)と呼ばれ、1990年中-後半のジュニアを牽引する。またWCWにも遠征し、ベルトも獲得。その出で立ちと実力から人気を博した。 2004年、大阪プロレスへ参戦し、当初はサムライ・金本・井上亘らと出場すると思われていたが、邪道、外道、竹村豪氏らと出場する。これ以降、ジュニアヘビー級のヒールチーム「C.T.U(コントロール・テロ・ユニット)」を結成。一時、蝶野正洋率いるBNJ(ブラックニュージャパン)というヘビー級の新軍団と合流したが、2006年半ばにBNJが事実上解散状態になったため、再び独立ユニットとなり、2007年夏ごろ、邪道・外道の離反によりC.T.Uも解散となる(2007年春頃にプロレス雑誌で解散するとの発言もあった)。2007年よりDRAGON GATEに参戦、3月26日にドン・フジイを破り、オープン・ザ・ドリームゲート王座を奪取した。しかし、7月1日にCIMAに破れ、ベルトを手放している。C.T.U解散に伴い、長州・蝶野らとともに「レジェンド」を立ち上げ、コスチュームも以前のような赤いマスクを付けたベビーフェイスに戻した。 2007年のWRESTLE LAND博多大会にて、にわか面を付け福岡ソフトバンクホークスの応援歌である『いざゆけ若鷹軍団』を入場曲とするハラキリ・ハカタ二号として登場。ハラキリ・ハカタの別リングネームを持つアステカと友人関係であることや、ライガー自身が福岡在住であることなどが、このキャラクターに結び付いている。 2008年2月17日の両国大会で、AKIRAと共にIWGPジュニアタッグ王座を勝ち取り7月21日の陥落まで所持していた。 2009年1月4日ではデビュー20周年記念試合を行いかつて幾度も死闘を繰り広げた佐野巧真とタッグを結成し金本浩二、井上亘組と対戦。最後は雪崩式垂直落下式ブレーンバスターで金本からピンフォールを奪った。2月15日には4年ぶりとなるIWGPジュニア王座に挑戦。普段見せないムーンサルトプレスやライガーボムなどを解禁し挑んだが最後はタイガーのデストロイ・スープレックス・ホールドで敗北。5月6日、新日本の試合を終えた後、金本と共にプロレスリング・ノア主催の日本武道館大会に参戦。ライガーを超神カイザー、金本を仲本工事と名前をわざと間違える挑発をしてきた平柳玄藩が金丸とタッグを組んで対戦。勿論2人は平柳を集中攻撃し金本がアンクルホールドで捕獲するとギブアップを奪った。 2010年4月4日に約1年ぶりに丸藤正道が持つIWGPジュニア王座に挑戦したが、タイガーフロウジョンを前に敗れた。 人物 [編集] 獣神サンダー・ライガー(左) 「ジュニアの象徴」と呼ばれ、2007年現在、新日本プロレスのジュニアの現場監督である。 マスコミ批判・レスラー批判など時に遠慮のない歯に衣を着せぬ発言もするが、個人的感情というよりもプロレスそのものに対する誇りから放たれている。それ故レスラーの戦い方やスタイルにしても、しっかりとした1個性として作りあげられているものならば、メジャー・インディを問わずたとえ敵対関係にあっても寛容な姿勢を見せ、他団体との交流や新日本参戦に自ら積極的に行動して橋渡し役になる場合が多い。他団体のリングに乗り込む際は率先してヒールを演じ、相手側ファンの罵声を浴びて会場の熱気を盛り上げる。ただし、2006年にDRAGON GATEに参戦した際には、ヒールユニットのマッスル・アウトローズの土井成樹とDo FIXERのドラゴン・キッドの抗争の流れからの参戦ということもあり、以前の赤いマスクを付けたベビーフェイスとして登場している(この時新日本ではC.T.Uとして活動していたので黒マスクを着用していた)。またプロレスに対する真摯な態度や言動から他のレスラー・プロレスファンからの信頼は非常に厚い。特に自分の源流である新日本プロレスには強い愛着を見せており、近年多く出版されるようになったプロレス暴露本などで、新日本プロレスの凋落を批判するOBに対し、本隊から離れている時にあっても「選手は一生懸命やっている。観客が来なくなるような発言は控えてほしい」と述べている。 器械体操をやっていた経験からシューティングスタープレスなどの難易度の高い空中殺法を開発したり、小柄な体格にもかかわらず垂直落下式ブレーンバスターを必殺技として定着させたりと、流行技の発信源になっている。 長年新日本のジュニアを支えあってきたエル・サムライとタッグを組むことが多く、IWGPタッグやジュニアタッグリーグで優勝している。 少年時代はミル・マスカラスの大ファンであった。後にタッグながら対戦している。 マスクはマイナーチェンジを含めて、たくさんの種類がある。また、毎年1月4日に行われる新日本プロレスの東京ドーム興行では毎年のように違う配色のコスチュームで登場する。マスクは口元だけが破けやすく、その状態で試合を行うこともある。ファンからプレゼントされた手作りマスクを被って雑誌の表紙を飾ったこともある(このファンは後にノブナガにマスクコレクターとして出演し、エピソードを披露している)。 プライベートではゴジラグッズ、フィギュア収集、食虫植物の栽培などを趣味とするインドア派。ただし、釣りも趣味としており、遠征中にしていることもある。 入場テーマ曲はデビュー時から一貫して『怒りの獣神』(弘妃由美、アニメ『獣神ライガー』前期OP)を使用している(ライガー自身は「プロレスラーの入場曲で、唯一歌える曲だから」と語ったことがある)。 井上や柴田らがデビューしたころから、タイトル戦にあまり絡まなくなり、スーパージュニアなどの大舞台で若手に勝ちを譲る場面もある。 覆面レスラーであることに強い誇りを持っており、練習中も簡易マスクを着用している。また、結婚した時も素顔・本名での披露宴とは別に、マスコミ向けに覆面・獣神サンダー・ライガー名義で披露宴を行っている。 有名な試合 [編集] 1994年2月に橋本真也と対戦した際は、通称バトルライガーと呼ばれるツノを取り去った“対ヘビー級戦闘仕様モデル”のマスクと上半身裸のスタイルで戦った。試合は負けたが、橋本相手に勝利に近付く場面もあった。この時見せたビルドアップされた肉体は、身長170cm未満の選手で100kgに満たないジュニアヘビー級クラスの選手の中で、ヘビー級のパワーを持つ『唯一』の選手とも絶賛されている。 グレート・ムタと戦ったときに、ムタに覆面を破られたが、覆面の下には素顔ではなく、白いペイントが施されていた。さらにライガーが自ら上半身のコスチュームを破ると、胸部にもペイントがされていた。奇声を上げ、毒霧を吐き、凶器を使う通常と違うファイトスタイルから一部雑誌では「狂神ライガー」と呼ばれた。この名前はプロレスゲーム『闘魂烈伝』などでも用いられていたが、新日本プロレスの公式ウェブサイトでは「鬼神ライガーと後に呼ばれる様になった」とギミックに若干の修正が行われている。なお、この時は白銀のコスチュームを使用しており、ライガー曰く「あの時だけ」の一度きりの配色である。また、直前の試合でトラブルがあり、このマスクを被って試合をしたこともある(体は普段の赤白のコスチューム)。2006年に非道とのシングルで復活させているが、最初から「鬼神ライガー」というネームでマスクを被らずに登場した。海外では邪神ライガーと表記されていることもある。 青柳政司戦にてマスクを破られ、素顔で最後まで試合を行い、その際に実況のアナウンサーから「山田恵一」と呼ばれた。この試合でマスクを破られ、逆上したライガーの責めはえげつなく、「ナイフを抜いた」と形容された。 試合前にマスクの盗難に遭い、エル・サムライのマスクを被って試合をしたことがある。その際の雑誌掲載時の見出しは「獣神サンダーサムライガー!?」。 2001年の大阪ドーム大会にてバトルライガーとして村上一成と対戦した際にマスクを剥がされるも、長州を始めとするセコンド達により頭に掛けられたタオルを払い除け、堂々と「素顔」を曝け出したまま小川直也とやりあった(この時辻よしなりは、実況で山田恵一の名前を連呼していた)。 2002年11月30日にパンクラスに参戦。パンクラスルールで鈴木みのると対戦した。この時は飾りの少ないマスク姿、タイツもより動きやすいようトランクスタイプで登場した。ゴングの瞬間に突進し、浴びせ蹴りを見舞うというプロレス魂を見せ付けた。結果は敗れたものの、鈴木に再びプロレスに開眼させ、それ以降鈴木は総合格闘技からプロレスに戻った。 タイトル歴 [編集] IWGPジュニアヘビー級王座を11回獲得しており、BEST OF THE SUPER Jr.の優勝3回(「TOP OF THE SUPER Jr.」含む)と共に同タイトルの最多記録である(2005年6月現在)。また、「BEST OF THE SUPER Jr. VIII」では、大会史上初の全勝優勝を達成する。1994年4月にはジュニア・オールスター戦「SUPER J-CUP」を実現させ、第2回、3回と自身も優勝。第4回もザ・グレート・サスケらと組み出場している(本戦は若手中心のトーナメント)。 新日本プロレス IWGPジュニアヘビー級王座 : 11回 (第9代、11代、13代、15代、18代、21代、26代、29代、32代、35代、37代) IWGPジュニアタッグ王座 : 5回 (第3代、6代、8代、10代、20代) パートナーはザ・グレート・サスケ→エル・サムライ→田中稔→金本浩二→AKIRA トップ・オブ・ザ・スーパージュニア優勝 : 1回(1992年) ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア優勝 : 2回(1994年・2001年) プロレスリング・ノア GHCジュニアヘビー級王座 : 1回(第8代) DRAGON GATE オープン・ザ・ドリームゲート王座 : 1回(第7代) 大阪プロレス 大阪プロレス・タッグ ジュニア8冠王座:IWGPジュニアと以下7つのタイトル。後にWARインターナショナルジュニアヘビーの単独防衛戦で敗れたため、7冠となる): 1回(第3代) WWF世界ライトヘビー WWA世界ジュニアライトヘビー UWA世界ジュニアライトヘビー 英連邦ジュニアヘビー NWA世界ウェルター NWAジュニアヘビー WARインターナショナルジュニアヘビー WARインターナショナルジュニアタッグ WCW WCW世界ライトヘビー級王座 : 1回 CMLL CMLL世界ミドル級王座 第2回カンペオン・ウニベルサル優勝 スーパーJカップ優勝 : 2回(2nd.STAGE・3rd.STAGE) 得意技 [編集] 打撃技 [編集] 掌打 骨法の技でライガーはほぼ利き手の左手で使用する。なお、ライガーのものは実際の骨法の掌打のそれではなく、ほぼ掌底打ちに近い。相手の顎を下から打ちぬくアッパー掌打やマウント状態から放つマウント掌打のバリエーションもある。ライガーはこの技をプロレス流にアレンジし、至近距離から連発したり、カウンターの一撃や串刺し式で繰り出すなど多用なバリエーションを見せている。 浴びせ蹴り 骨法の技。前方の相手に向かって前方宙返りする勢いで片足を振り上げ、踵で相手の頭部を打つ。コーナーにもたれかかった相手に追打ちで決める場合が多いが、稀に避けられてふくらはぎを強打することも。 投げ技 [編集] C.T.B(クラッシュ・サンダー・バスター) アトミック・ドロップのように相手を抱え上げ、そのままフェイスクラッシャーの要領で前方に向かって叩き付ける技。 垂直落下式ブレーンバスター ライガーの最も多用するフィニッシュ・ホールド。相手の首に片手を回し、もう片手で相手のタイツをつかむ。そのまま相手を持ち上げ、脳天から落とす技。なお、そもそもブレーンバスターは、現在のように背中から落とす形ではなく、垂直落下形であった。 雪崩式垂直落下ブレーンバスター 文字通り雪崩式で仕掛ける垂直落下式のブレーンバスター。一時期フィニッシュ・ホールドとして多用していたが現在では封印している。 フィッシャーマンバスター フィッシャーマンズ・スープレックスの要領で抱え上げてから、垂直落下式ブレーンバスターのように脳天から落とす。こちらも一時期、雪崩式で繰り出すものをフィニッシュに使用していたが、最近では使わなくなった。 ライガーボム ジャンピングパワーボムと同じように前方に向かって相手を後頭部からマットに叩きつけ、その際受身を取った相手の両腕を足でロックする技。ライガーはさらに腰を落として後方に体重をかけるようにして座り込みながら相手をマットに落とす。 サンダーライガー・ボム 相手を持ち上げた状態でリングの対角線上にランニングをして叩き付けるランニング式のライガー・ボム。近年ではほとんど使用されなくなった。 渾身のパワーボム 叩き付けた際相手の足にのしかかり自身の体重を浴びせてフォールするパワーボム。 雪崩式フランケンシュタイナー コーナー上に座らせた相手の頭を両足で挟むように正面からウラカン・ラナのように跳び付き、自らの体を後方に勢いよく反り、足首を使って投げ捨てる技。フランケンシュタイナーは元々、スコット・スタイナーのフェイバリットムーブだが、雪崩式に応用したのはライガーが最初で、以降空中戦を得意とするジュニア選手を中心に定着していく。公開当初はそのままフォールの体勢に入っていたが徐々に投げっぱなし式のような形へと変化していった。 ジャーマン・スープレックス 素顔時代にフィニッシュとして愛用していた技。ライガーは、リック・スタイナーの影響を受けてから、投げ捨て式を多用するようになった。トップロープから相手を一回転式で投げる雪崩式も時々使用している。 ライガースープレックス(獣神原爆固め) 相手の片手を反対の足の下で掴み、そのままジャーマン・スープレックスに移行する技。小林邦昭とのデビュー戦でフォールを奪った技だが、最近は使っていない。素顔時代の得意技アスナロスープレックスII(飛燕原爆固め)の改良版。 関節技 [編集] 鬼殺し 骨法の技で、腕を絡め取る関節技。骨法を習っていた時に一時期使っていたが、現在は使われていない。 腕ひしぎ逆十字固め 相手が関節技に秀でた相手の場合、対抗してこの技を狙う時が多い。また潰しあいになるときも仕掛ける。 チキンウィングアームロック こちらも上記同様潰し合いになるような試合や格下相手のシゴキ試合のような場面でよく用いられる。スタンド状態から巻き込んで極める巻き込み式も使用。ライガーはこの技を仕掛けた際すぐさまヘッドシザーズに移行することもある。 チキンウィングフェイスロック 主に1980年代から1990年代頃まで使用していた。ほとんどは胴締め式で極める。獣神ライガー時代にはこの技とドラゴン・スリーパーの複合技を披露していた。 キャメルクラッチ 時として悲鳴が上がるほど思い切り締め上げることがある。 足4の字固め 昔から時々使用している。テレビ中継の際解説のマサ斎藤から「ライガーは体が小さいから威力が弱い」と苦言を呈されていた(腕十字も同様のコメント)。 コウモリ吊り(ムルシェラゴ) 自分は片膝状態で、立てた片膝の方向に相手の頭が来るように、うつぶせ状態で両肩に相手を横抱き。自分の首を支点に相手の両足を四の字に交差し伸ばしたほうの足を腕で捕える。相手の胴を内側に折り曲げるようにして片膝状態の内股部分に相手頭部が来るように固定。相手の重みを自分の両肩で受け、その重さを使って四の字にした相手の膝関節を極める。首を支点に使った足4の字固めのバリエーションの一つ。滅多に使わない技。 ロメロスペシャル(吊り天井) 初期のライガーは正調ロメロスペシャルを良く使っていたが、後年はほとんど、吊り天井に行く前の段階でサーフボードの腕を外してそのまま相手の首をドラゴン・スリーパーに捕らえるパターン(変型カベルナリア)が主流となっている。全盛期は正調ロメロスペシャルから変型カベルナリアへの連携を良く見せていた。他にも過去に腕を外した際にチンロックで絞り上げるロメロ・チンロックも見せている。 固め技 [編集] 高角度前方回転エビ固め 相手の肩に側面から飛びついて前方回転して極める。肩車状態の時に後方に方向転換して極める後方回転式や飛びついた際にホイップして極めるホイップ式も使用。最近では使用していない。 スモールパッケージホールド(首固め/小包固め) あまり見せないが時々使用している。 ウラカン・ラナ よく自分から相手に飛びついて極めることが多かった。最近は使われていない。 ラ・マヒストラル 昔からよく使用している。カウンターでカニ挟みから移行して極める連携も見せている。 横十字固め ロープワークから相手のラリアットをかいくぐり飛び付いて決めることが多い。 サムソン・クラッチ ヘビー級と対峙する時などに時折使用している。 飛び技 [編集] トペ・コンヒーロ 場外の相手へ前方宙返りしながら体を当てる飛び技。コーナーポストから飛ぶ形と、ロープを潜りリングから飛ぶ形の2パターンで行う。正調版は主に1990年代中頃に使用していた。現在はエプロンを走って場外の相手にアタックをかけるパターンを多用する。 ラ・ケブラーダ エプロンサイドから場外の相手に対しロープの反動を利用してムーンサルトアタックを行う空中技。元祖はウルティモ・ドラゴンで、若手時代にメキシコで身につけたものを「アサイ・ムーンサルト」として日本に持ち込んだのが最初。バランス感覚と跳躍力が必要な技であり、受身を取りそこなうことも多い非常に危険な技である。こちらも1990年代中頃に使用していた。 フロッグスプラッシュ コーナートップから跳び、空中で手足をカエルのように一度屈伸させてから相手に体を浴びせる技。コーナーからリング内へ飛ぶ技では一番使用頻度が高い。 ムーンサルトプレス リングを背にしてコーナーに登りそのままバック宙、倒れている相手を身体ごとプレスする。主に1990年代中ごろのヘビー級の選手との対戦時に使用。回転の際に斜めに飛んで極めるがこれは本人曰く「鼓膜が破れているため、平行感覚を失っているから」[要出典]らしい、長らく使用していなかったが、近年再び使用し始めた。 シューティングスタープレス リングに向かって正面からコーナーに立ち、両腕を広げ、そのまま前上方にジャンプしながらバック宙をするように体を回転させ相手をプレスする。過去に数回しか使われておらず、最近では使う機会はほとんど見られないが、今でも得意技として紹介されていることが多い(過去にタイガーマスクとの試合で披露している)。素顔時代の凱旋帰国時に披露したオリジナル技である。ライガーに変身以降封印していたが1990年1月31日の佐野戦で封印を解いた。ライガー曰く「バック宙してるのに前に飛んで行く、僕にもちょっと分からない不思議な技」「北斗の拳のレイが使う南斗水鳥拳をモチーフにした」と、雑誌でのインタビューで答えている。もう出来ないのではないか?という憶測に対しては「練習すれば出来る」と答える反面「危険だからもうやらない」と、こちらも、雑誌でのインタビューで答えている。命名者は田中ケロ。 スターダストプレス 空中で複雑な捻りを加えたムーンサルトプレス。 シューティングスタープレス披露後の雑誌での道場取材で「スターダストプレスはもう出来ている」と発言したことでその披露が待たれていたが、再び海外に出た当人が行方不明となったことで技の名前だけが先行していた。 実際に使用されたのは1996年1月4日に東京ドームで行われた対金本浩二戦の1回のみ。後の雑誌インタビューで、「元々はハヤブサのフェニックススプラッシュと同型の飛び技を予定していたが、既に披露されてしまったために新たに試合で披露したような複雑な形になった」と答えている。 空中胴絞め落とし(ルー・テーズ・プレス) ダッシュしてきた相手の胴を自らの両足で挟み込みながら前に倒れこんで押し倒し、上になった体勢のままフォールを奪う技。2009年頃からフィニッシュ・ホールドとして多用されている。ライガーはこの技をカウンターで素早く使うため、プレス技というよりもクイックの色合いが強い。 ライバル [編集] ライガーは自身のライバルとして以下の二人を挙げている。 佐野直喜 新日本プロレス同期入門で、1990年代初頭にIWGPジュニア王座を巡って抗争を繰り広げた。二人の激しい試合を見た先輩レスラーが「お前らそのうちどっちかが死ぬぞ」と言ったエピソードも残っている。 その後、佐野はUインターへ移籍し新日とUインターの対抗戦ではライガーの希望で両者のシングルが組まれ名勝負の再現として注目を集めた。試合でも佐野がU系のレスラーとしては異例のトペ・スイシーダやタイガー・スープレックスを出し、勝利した。 2009年のライガーデビュー20周年記念試合ではタッグを結成した。 クリス・ベノワ 新日に練習生として留学した後に覆面レスラーペガサス・キッドとして来日。ライガーからIWGPジュニア王座を奪取した。1991年にはマスカラ・コントラ・マスカラで対決し、ライガーが勝利してペガサスがマスクを脱いだ。 その後もIWGPジュニア戦やベスト・オブ・ザ・スーパージュニアでの激闘、ジュニア・フォー・ホースメンの結成などで時には味方、時には敵としてライバルストーリーを紡いでいったがクリスのWWE移籍で疎遠となった。 そして2007年クリスは死去し、二人の再戦は実現できなくなった。それ以降ライガーはインタビューなどでクリスとの思い出を聞かれても「自分の中で大切に取って置きたい」との考えから一切語らないようにしている。 プロレス以外の活動 [編集] カレーマンの入場時に一緒にカレーダンスを踊ったり、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』ではマスクしてるのにもかかわらず五木ひろしのエアーものまねをしてみたり、「全身タイツ隊」のメンバーとしても出演し、メンバーと同じ奇妙な動きを見せるなど、芸達者な一面もある。 また、上記のようなテレビ出演やファミ通で人生相談コーナーを持っていたりしたこともあるなど、リングの外での活躍も多い。『象印クイズ ヒントでピント』などのクイズ番組や『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演したこともある。2006年10月から2007年3月にかけてはパチスロ番組『ゴールデンスロット』に準レギュラー出演していた(ただし、番組内でボーナス絵柄の目押しに苦戦する様子などが放送されていることから、ライガー自身はパチスロは素人である模様)。 2006年5月20日、千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテマリーンズ対中日ドラゴンズ戦の始球式を務めた。 2007年2月24日放送の『めちゃ×2イケてるッ!』に出演した。そこで、「僕、閉所恐怖症なんです。」と自分の短所を告白した。 2007年7月16日放送の『くりぃむナントカ』芸能界ビンカン選手権では、仕掛け人として素の姿(バックショットのみ)で出演した。 2009年6月9日放送の『アタシんちの男子』に同じ新日本プロレス所属の後藤洋央紀、棚橋弘至、岡田かずちかと共に出演。 2010年11月10日に放送された『シルシルミシル』で、県境を日本一多くまたぐ道路「高野龍神スカイライン」をリングネームと語呂が似てると言うことでレポートした。 マスクの種類 [編集] デビュー戦使用 その他 [編集] 新日本のレスラーは抗争や因縁アングルを進める時は「潰す」や「殺(や)っちゃう」という語彙を多用するが、ライガーが10年以上使い続けているのは「ぶち殺す」という表現である。 大の特撮マニアである。AKIRAが仮面ライダークウガに出演した際、控え室で野上にいきなりグロンギ語(作品内の架空言語)で話しかけ困惑させたことがある。 プロレスはリング上で繰り広げられる「芸術」であると述べたことがある。 フジテレビのドラマ『世にも奇妙な物語』の『覆面』というエピソードに出演(声は吹替)。 小学校の頃、将来は動物園の飼育員になりたかったらしい。 ヤングライオン時代のあだ名は「ハチ」。 非常に悪戯好きである。後輩の天山広吉がトイレに入ったところへロケット花火を打ち込むなどエピソードは枚挙に暇が無いが、井上亘には悪戯を見破られて大変悔しそうにしていたというエピソードも。 夫人はスペル・デルフィンのファンで、飼い犬に「デルフィン」という名前をつけるほど。 ライガーは当初武藤敬司にやらせる予定だったが、武藤が難色を示したため変更となった、という話がある。 新人育成のために船木誠勝と共に少々過激なことをしていたと告白している。一例として熱湯(50-60℃位らしい)を満たした湯船に新人を放り込み、フタをした上にライガーが乗って「熱ければ自分で出てこい!」というもの。ライガーはこれを「どれだけ必死になれるかを試している」として、「ここで出てこれたヤツは大丈夫。しかし、出てこられないとふたを開け、『おまえはもう田舎に帰れ。プロレスラーには向いていない。』と諭した」と、週刊プロレスの取材で語った。 藤波辰爾を尊敬しており、藤波が作ったドラゴンボンバーズのメンバーだった。 デビュー当初から、地毛を出した独特のマスクであったが、2010年後半より、マスクに毛を張り付けた物に変更された。 PR |
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