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クリス・ライトル(Chris Lytle、男性、1974年8月18日 - )は、アメリカ合衆国の総合格闘家。インディアナ州インディアナポリス出身。インテグレイテッド・ファイティング・アカデミー所属。元Cage Rage世界ウェルター級王者。
パンクラス道場に留学していた経験がある。 目次 [非表示] 1 来歴 2 戦績 2.1 プロボクシング 2.2 総合格闘技 3 獲得タイトル 4 脚注 5 関連項目 6 外部リンク 来歴 [編集] 1999年4月18日、パンクラスに初参戦。パンクラチオンマッチで渋谷修身と対戦し、時間切れドローとなった。その後もパンクラスに継続参戦していた。 2000年11月17日、UFC初参戦となったUFC 28でベン・イヤーウッドと対戦し、0-3の判定負けを喫した。 2002年12月21日、パンクラス・ミドル級王座次期挑戦者決定戦で竹内出と対戦し、0-2の判定負けを喫した。 2003年11月21日、UFC3年ぶり2度目の参戦となったUFC 45でロビー・ローラーと対戦し、0-3の判定負けを喫した。 2006年2月4日、Cage Rage 15でロス・メイソンとの世界ウェルター級王座決定戦に勝利し、初代世界ウェルター級王者となった。 2006年8月、リアリティ番組「The Ultimate Fighter」のシーズン4にチーム・モージョのウェルター級選手として参加。トーナメントではピート・スプラット、ディン・トーマスを破り決勝に進出するも、ウェルター級タイトル挑戦権を賭けた決勝でマット・セラにスプリットの判定で敗れ、シーズン準優勝となった。 2007年7月7日、UFC 73でジェイソン・ギリアムに腕ひしぎ三角固めで一本勝ちを収めサブミッション・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2007年7月、約1年余りに渡って保持していたCage Rage世界ウェルター級王座を返上。ライトルはその理由を、自らの友人のウェルター級選手達にタイトル取得の機会を与えるためとしている[1]。 2007年11月17日、UFC 78でチアゴ・アウベスと対戦し、2R終了時に左瞼カットによるドクターストップでTKO負けとなったもののファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2008年2月2日、UFC 81でカイル・ブラッドリーと対戦し、開始33秒パウンドでTKO勝ちを収めノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。10月18日、UFC 89でポール・テイラーと対戦し、判定勝ちを収めファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2009年1月17日、UFC 93でマーカス・デイヴィスと対戦し、判定負けとなったもののファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[2]。6月20日、The Ultimate Fighter: United States vs. United Kingdom Finaleでケヴィン・バーンズと対戦し、判定勝ちを収めファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[3]。 2010年2月20日、UFC 110でブライアン・フォスターを膝十字固めで下し、大会のサブミッション・オブ・ザ・ナイトに選ばれた[4]。7月3日、UFC 116でマット・ブラウンと対戦し、腕ひしぎ三角固めで一本勝ちを収めた[5]。9月25日、UFC 119でマット・セラと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[6]。 戦績 [編集] プロボクシング [編集] プロボクシング 戦績 15 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合 13 勝 7 1 1 敗 0 総合格闘技 [編集] 総合格闘技 戦績 52 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合 30 勝 3 21 6 0 5 0 17 敗 2 0 15 0 勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日 ○ マット・セラ 5分3R終了 判定3-0 UFC 119: Mir vs. Cro Cop 2010年9月25日 ○ マット・ブラウン 2R 2:02 腕ひしぎ三角固め UFC 116: Lesnar vs. Carwin 2010年7月3日 ○ ブライアン・フォスター 1R 1:41 膝十字固め UFC 110: Nogueira vs. Velasquez 2010年2月20日 ○ ケヴィン・バーンズ 5分3R終了 判定3-0 The Ultimate Fighter: United States vs. United Kingdom Finale 2009年6月20日 × マーカス・デイヴィス 5分3R終了 判定1-2 UFC 93: Franklin vs. Henderson 2009年1月17日 ○ ポール・テイラー 5分3R終了 判定3-0 UFC 89: Bisping vs. Leben 2008年10月18日 × ジョシュ・コスチェック 5分3R終了 判定0-3 UFC 86: Jackson vs. Griffin 2008年7月5日 ○ カイル・ブラッドリー 1R 0:33 TKO(パウンド) UFC 81: Breaking Point 2008年2月2日 × チアゴ・アウベス 2R終了時 TKO(左瞼カット) UFC 78: Validation 2007年11月17日 ○ マット・ブラウン 2R 2:49 ギロチンチョーク United Fight League 2007年8月11日 ○ ジェイソン・ギリアム 1R 2:15 腕ひしぎ三角固め UFC 73: Stacked 2007年7月7日 × マット・ヒューズ 5分3R終了 判定0-3 UFC 68: The Uprising 2007年3月3日 × マット・セラ 5分3R終了 判定1-2 The Ultimate Fighter 4 Finale 【TUF4ウェルター級トーナメント決勝】 2006年11月11日 ○ ロス・メイソン 2R 4:57 チョークスリーパー Cage Rage 15: Adrenalin Rush 【世界ウェルター級王座決定戦】 2006年2月4日 ○ サヴァン・ヤング 1R 3:50 ギブアップ(肘打ち) WEC 18: Unfinished Business 2006年1月13日 × ジョー・リッグス 2R 2:00 TKO(カット) UFC 55: Fury 2005年10月7日 ○ ブライアン・ダン 1R 2:03 TKO(パンチ) Legends of Fighting 1 2005年8月13日 ○ パット・ヒーリー 5分3R終了 判定2-1 WEC 15: Judgment Day 2005年5月19日 × カロ・パリジャン 5分3R終了 判定0-3 UFC 51: Super Saturday 2005年2月5日 ○ JTテイラー 1R 2:53 前腕チョーク WEC 12: Halloween Fury 3 2004年10月21日 ○ ロナルド・ジューン 2R 1:17 ギロチンチョーク UFC 49: Unfinished Business 2004年8月21日 ○ ティキ・ゴースン 2R 1:55 ブルドッグチョーク UFC 47: It's On! 2004年4月2日 ○ ピート・スプラット 1R 0:46 スリーパーホールド RSF - Shooto Challenge 2 2004年1月2日 × ロビー・ローラー 5分3R終了 判定0-3 UFC 45: Revolution 2003年11月21日 ○ デリック・ノーブル 2R 2:04 チョークスリーパー RSF - Shooto Challenge 2003年10月3日 ○ チャット・ラヴェンダー 1R 0:55 三角絞め Absolute Fighting Championships 5 2003年9月5日 ○ ラヴァーン・クラーク 5分3R終了 判定3-0 Battleground 1: War Cry 2003年7月19日 × 大石幸史 5分3R終了 判定1-2 パンクラス PANCRASE 2003 HYBRID TOUR 2003年4月12日 ○ アーロン・ライリー 1R 3:31 KO(パンチ) HOOKnSHOOT: Boot Camp 1.1 2003年3月8日 × 竹内出 5分3R終了 判定0-2 パンクラス PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR 【ミドル級王座次期挑戦者決定戦】 2002年12月21日 ○ 星野勇二 1R 2:12 三角絞め パンクラス PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR 2002年10月29日 × ニック・ディアス 5分3R終了 判定0-3 IFC Warriors Challenge 17 2002年7月12日 ○ 三崎和雄 5分3R終了 判定3-0 パンクラス PANCRASE 2001 PROOF TOUR 2001年12月1日 ○ ジェイク・アンブロウズ 1R 1:49 チョークスリーパー Cage Rage 2 2001年4月14日 △ デイブ・ストラッサー 18分1R終了 ドロー Reality Submission Fighting 3 2001年3月30日 △ ニック・ハイド 5分3R終了 ドロー Circle City Challenge 2001年2月3日 ○ ビーバー 1R 2:18 チョークスリーパー Bad Boy Competition 2000年11月24日 ○ マイク・ハートム ギブアップ(打撃) Bad Boy Competition 2000年11月24日 × ベン・イヤーウッド 5分2R終了 判定0-3 UFC 28: High Stakes 2000年11月17日 × ショーニー・カーター 10分1R+延長3分2R終了 判定0-3 パンクラス PANCRASE 2000 TRANS TOUR 【ミドル級ランキングトーナメント 準決勝】 2000年9月24日 ○ 小幡太郎 1R 2:56 肩固め パンクラス PANCRASE 2000 TRANS TOUR 【ミドル級ランキングトーナメント 1回戦】 2000年7月23日 × 石井大輔 10分+延長3分終了 判定0-3 パンクラス PANCRASE 2000 TRANS TOUR 【ライトヘビー級ランキングトーナメント 1回戦】 2000年6月26日 ○ CJフェルナンデス 1R 3:54 三角絞め HOOKnSHOOT: Double Fury 1 2000年3月17日 × KEI山宮 10分終了 判定0-3 パンクラス PANCRASE 2000 TRANS TOUR 2000年1月23日 △ 美濃輪育久 15分終了 時間切れ パンクラス PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR 【パンクラチオンマッチ】 1999年12月18日 × デイブ・メネー 5分2R終了 判定0-3 Extreme Challenge 29 1999年11月13日 ○ ルーク・ペディゴ 1R 1:57 フロントチョーク HOOKnSHOOT: Millenium 1999年11月6日 △ 伊藤崇文 10分+延長3分終了 判定0-0 パンクラス PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR 1999年8月1日 × ジェイソン・デルーシア 10分終了 判定0-2 パンクラス PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR 1999年7月6日 ○ 渡辺大介 5:30 フロントチョーク パンクラス PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR 1999年6月11日 △ 渋谷修身 15分終了 時間切れ パンクラス PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR 【パンクラチオンマッチ】 1999年4月18日 ○ ボー・ハーシュバーガー 1R 11:33 ギブアップ(打撃) Neutral Grounds 10 1999年2月13日 獲得タイトル [編集] 初代Cage Rage世界ウェルター級王座(2006年) 脚注 [編集] ^ Chris "Lights Out" Lytle vacates Cage Rage Championships World welterweight title Cage Rage公式サイト 2007年7月16日 ^ 【UFC93】TUF2戦士=デイビス、大歓声をバックに勝利 MMAPLANET 2009年1月18日 ^ 【TUF9】ボディに突破口、ライトルが逆転勝ち MMAPLANET 2009年6月21日 ^ 【UFC110】ライトル一本勝ち、クラシカル・ニー・バー披露 MMAPLANET 2010年2月21日 ^ 【UFC116】温故知新MMA、ライトルが見事なフィニッシュ MMAPLANET 2010年7月4日 ^ 【UFC119】ライトル、ホームでセラにフルマークの判定勝ち MMAPLANET 2010年9月26日 PR |
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ウィウソン・ゴヴェイア(Wilson Gouveia、男性、1978年10月3日 - )は、ブラジルの総合格闘家、ブラジリアン柔術家(黒帯)。セアラー州フォルタレザ出身。アメリカン・トップチーム所属。
その実力はライトヘビー級の体格でありながら元PRIDEヘビー級王者のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとスパーリングで互角以上に渡り合うほどと言われる[2]。 目次 [非表示] 1 来歴 2 戦績 3 脚注 4 関連項目 5 外部リンク 来歴 [編集] 出身地であるセアラー州フォルタレザでマーカス・アウレリオのアカデミーで柔術を学んでいた[1]。 2001年、アメリカ合衆国でプロ総合格闘技デビュー。2002年には当時ライトヘビー級だったジョン・フィッチと対戦、膝蹴りでTKO勝利を収めた。 2003年3月28日、HOOKnSHOOT南東部ライトヘビー級王座決定戦で横井宏考と対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。 2005年11月5日、Mixed Fighting Championshipの日米対抗戦で浜中和宏と対決し、パウンドでKO勝ちを収めた。 2006年にはUFCと契約、緒戦となった6月24日のThe Ultimate Fighter 3 Finaleのキース・ジャーディン戦は判定負けに終わる。その後8月26日に行われたUFC 62のウェズ・コームズ戦ではチョークスリーパーで一本勝ちを収めた。 2007年4月5日のUFC Fight Night 9ではセス・ペトルゼリにフロントチョークで勝利、また5月26日のUFC 71ではカーメロ・マレロにフロントチョークで勝利した。 2008年1月19日、UFC 80でジェイソン・ランバートにKO勝ちし、UFCでは4連勝となり、ノックアウト・オブ・ザ・ナイトも受賞した。5月24日、UFC 84のゴラン・レルジッチ戦では途中まで優位に試合を進めながら、最後に左ストレートでダウン、その後の追撃を凌ぎ切れずTKO負けを喫した。敗れたもののファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。続く9月17日のUFC Fight Night: Diaz vs. Neerではミドル級に落としてジェレミー・ホーンと対戦予定であったが、ホーンの怪我によりライアン・ジェンセンに変更、試合は2ラウンドに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。サブミッション・オブ・ザ・ナイトを受賞した。12月13日にはThe Ultimate Fighter: Team Nogueira vs. Team Mir Finaleでジェイソン・マクドナルドと対戦、ミドル級のリミットから4ポンドオーバーとなりキャッチウェイトバウトに変更となったものの、試合は肘打ちでギブアップ勝利を収めている[3]。 2009年2月21日、UFC 95でネイサン・マーコートと対戦し、首相撲からの膝蹴りでKO負けを喫した[4]。 2009年12月12日、UFC 107でアラン・ベルチャーにTKO負けを喫したものの、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[5]。なお、元々ミドル級(185ポンド)契約であったが、ゴヴェイアが193ポンド、ベルチャーが195ポンドとお互いに計量オーバーとなり、195ポンドのキャッチウェイトバウトに変更された[6]。 戦績 [編集] 総合格闘技 戦績 20 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合 12 勝 5 6 1 0 0 0 8 敗 6 1 2 0 勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日 × ライアン・ジモ 5分3R終了 判定0-3 Maximum Fighting Championship 25: Vindication 2010年5月7日 × アラン・ベルチャー 1R 3:03 TKO(パウンド) UFC 107: Penn vs. Sanchez 2009年12月12日 × ネイサン・マーコート 3R 3:10 TKO(膝蹴り) UFC 95: Sanchez vs. Stevenson 2009年2月21日 ○ ジェイソン・マクドナルド 1R 2:18 ギブアップ(肘打ち) The Ultimate Fighter: Team Nogueira vs. Team Mir Finale 2008年12月13日 ○ ライアン・ジェンセン 2R 2:04 腕ひしぎ十字固め UFC Fight Night: Diaz vs. Neer 2008年9月17日 × ゴラン・レルジッチ 2R 3:15 TKO(パウンド) UFC 84: Ill Will 2008年5月24日 ○ ジェイソン・ランバート 2R 0:37 KO(パンチ) UFC 80: Rapid Fire 2008年1月19日 ○ カーメロ・マレロ 1R 3:06 フロントチョーク UFC 71: Liddell vs. Jackson 2007年5月26日 ○ セス・ペトルゼリ 2R 0:39 フロントチョーク UFC Fight Night 9 2007年4月5日 ○ ウェズ・コームズ 1R 3:23 チョークスリーパー UFC 62: Liddell vs Sobral 2006年8月26日 × キース・ジャーディン 5分3R終了 判定0-3 The Ultimate Fighter 3 Finale 2006年6月24日 ○ 浜中和宏 1R 0:39 KO(パウンド) Mixed Fighting Championship 5: USA vs. Japan 2005年11月5日 ○ マイク・デラニー 1R 3:23 ギブアップ(スタンドの打撃) Freestyle Combat Challenge 15 2004年6月12日 × ローリー・シンガー 2R 4:55 KO(膝蹴り) King of the Cage 32: Bringing Heat 2004年1月24日 ○ ロン・フェアクロス 5分3R終了 判定3-0 Absolute Fighting Championships 6 2003年12月6日 × ロン・フェアクロス 1R終了時 TKO(タオル投入) Absolute Fighting Championships 4 2003年7月19日 × 横井宏考 3R 2:26 TKO(パウンド) HOOKnSHOOT: Absolute Fighting Championships 2 【HOOKnSHOOT南東部ライトヘビー級王座決定戦】 2003年3月28日 ○ ジョン・フィッチ 1R 3:38 TKO(膝蹴り) HOOKnSHOOT: Absolute Fighting Championships 1 2002年12月13日 ○ アーロン・デイヴィス 1R 0:22 KO World Extreme Fighting Championships 1: Bring It On 2002年6月29日 ○ レイ・カシアス 1R 2:59 腕ひしぎ十字固め HOOKnSHOOT: Kings 1 2001年11月17日 脚注 [編集] ^ a b “未完の大器”ウィルソン・ゴヘイア・インタビュー MMAPLANET 2008年9月15日 ^ 天才、ついに頂点へ。ミルコを蹴り倒した男も出場、UFC80プレビュー (p.3) MMAPLANET 2008年1月18日 ^ 体重超過のゴヘイア、勝つには勝ったが… MMAPLANET 2008年12月14日 ^ 【UFC95】マーコート、怒涛のラッシュでゴヘイア振り切る MMAPLANET 2009年2月22日 ^ 【UFC107】ベルチャー、秋山戦敗北から再起に成功 MMAPLANET 2009年12月13日 ^ 【UFC107】いよいよ激突、息巻くディエゴにBJは平静 MMAPLANET 2009年12月12日 |
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ディック・ハットン(Dick Hutton、1923年10月4日 - 2003年11月24日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テキサス州アマリロ出身。ニックネームは「野生の男」。身長188cm、体重110kg。
目次 [非表示] 1 来歴 2 得意技 3 獲得タイトル 4 関連項目 5 外部リンク 来歴 [編集] 15歳からレスリングを始め、レスリングの名門オクラホマ農業大学で全米大学選手権4連覇、ロンドンオリンピック代表など数々の名声を得た後、1951年にプロレスラーとしてデビュー。 1957年11月14日、トロントでルー・テーズを得意のコブラツイストで破り第41代NWA世界ヘビー級王者となる。1959年1月9日パット・オコーナーに敗れ王座転落。1966年現役引退。 アマチュア時代からバーン・ガニア(AWA世界王者)のライバルで、ガニアが早くからプロレスで成功しているのを見て自分にもできると思ったという。また、ルー・テーズは寝技では古今東西ハットンに敵う者はいないと述べている。 日本には1962年、日本プロレスの第4回ワールドリーグ戦に来日。力道山とシングルで対戦した際もグラウンドレスリングで翻弄し、カナディアン・バックブリーカーに担ぎ上げられた力道山が恐怖にかられ大声で「まいった、まいった」と連呼したという。 得意技 [編集] コブラツイスト カナディアン・バックブリーカー 獲得タイトル [編集] NWA NWA世界ヘビー級王座 : 1回 関連項目 [編集] 歴代NWA世界ヘビー級王者 |
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ウィリアム・リチャード・アフィルス(William Richard Afflis、1929年6月27日 - 1991年11月10日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。インディアナ州インディアナポリス出身。
そのプロレスラーとしてのキャリアにおいて、ディック・ザ・ブルーザー(Dick The Bruiser)のリングネーム、および「生傷男」の異名で知られた。 目次 [非表示] 1 来歴 2 逸話 3 得意技 4 獲得タイトル 5 関連項目 6 外部リンク 来歴 [編集] アメリカンフットボールの名選手として活躍し、7つの大学から声がかかったが、すべて喧嘩による放校処分で棒に振った。1951年、NFLグリーンベイ・パッカーズに入団(酒場やカジノの用心棒をしていたという説あり)した後、1955年にプロレス転向。その年にルー・テーズのNWA世界ヘビー級王座に挑戦している。 経歴そのままに殴る蹴るの喧嘩ファイトを押し通し、1957年にウィルバー・スナイダーを破りUSヘビー級王座を獲得したのをはじめ、1963年にはクラッシャー・リソワスキーとのコンビでAWA世界タッグ王座を獲得。1964年にはフレッド・ブラッシーを破ってWWA世界ヘビー級王座を、1966年にはマッドドッグ・バションを破ってAWA世界ヘビー級王座を奪取している。WWAのベルトはそのまま故郷のインディアナポリスに持ち帰り、それを元にして自らの団体インディアナポリスWWAを設立。プロモーター業にも携わるようになる。 日本には1965年に初登場し、ジャイアント馬場と第3代インターナショナル・ヘビー級王座決定戦を戦う。その後も日本プロレス、そして全日本プロレス・国際プロレスに登場。1969年にはリソワスキーとのコンビでジャイアント馬場&アントニオ猪木のBI砲からインターナショナル・タッグ王座を奪取している。1972年11月には国際プロレスで、リソワスキーと組んでのストロング小林&グレート草津戦で日本初のタッグでの金網デスマッチを実現している。もっともこの時には、アメリカでは一般的な「先に金網から脱出したほうが勝ち」というルールだと誤解していたブルーザー&クラッシャーが小林&草津を完全KOして場外脱出したのが元で暴動騒ぎになった。1975年4月には全日本プロレスに登場して馬場のPWFヘビー級王座に挑戦。1976年1月にはリソワスキーとのコンビで馬場&ジャンボ鶴田のインター・タッグに2度挑戦している。1980年3月の国際への参戦が最後の来日となった。 1991年11月10日、心臓発作(動脈瘤破裂とも伝えられている)で死去。62歳没。 逸話 [編集] 生傷男の異名は伊達ではなく、数多くの武勇伝がある。 上記の馬場との選手権へ向けた調印式で、ブルーザーは馬場に対し「おい小僧! とうとうお前とやることになったな!」と凄んで見せ、電話帳を破ったり、ビール瓶の栓を指で抜いて見せるなどのパフォーマンスを敢行。あまりの迫力に馬場は本気でビビッてしまったという。 なお、1980年代にアメリカで馬場と再会した時にも、当時NWA屈指の大プロモーターになりNWA世界王者も経験していた馬場に「よう、小僧」と呼ばわって馬場を苦笑させた。また、ブルーザー・ブロディも彼からは常に「小僧(キッド)」と呼ばれており、親交がある年下の人物への一種の愛情表現だったものと思われる。 インター王座決定第一戦で、ブルーザーのあまりのタフさにあきれ果てた馬場が、師匠力道山から「相手が死んでしまうぞ」と止められていた脳天チョップを「まあブルーザーなら死なんだろう」と解禁したという逸話がある。 1957年11月19日、マディソン・スクエア・ガーデン(以下MSG)での試合中、場外乱闘中に複数の観客や警察官を殴り倒して負傷させ、傷害罪で告訴された。その後も何度か同様の罪状で裁判沙汰になっている。しかしこの振る舞いには、ヒールとしての「役作り」の要素があることは否定できない。 翌1958年2月24日、MSGに再登場するが、今度はパワーボムで相手レスラーを危篤状態に追い込んでしまう。度重なるニューヨークでの不祥事に、ビンス・マクマホン・シニア(現在のビンス・マクマホンの父)は二度とブルーザーを呼ぼうとはしなかった。もっともこの事件はブルーザーにとってもまったくのアクシデントであり、「レスラー人生最大の失敗だった」と語っている。 プロモーターになってからも、ブルーザー・ブロディ相手にバックステージで大喧嘩をするなど、血気盛んなところは変わらなかった。 葉巻をくわえつつビールをラッパ飲みし、低い声でがなりたてるパフォーマンスがトレードマークだった。それがたたったのか、晩年のブルーザーは喉が潰れ、話し声が聞き取りづらくなってしまった。 得意技 [編集] パンチ、キック ブルーザーの基本戦法であり、同時に彼独特のキャラクター性を最大限に引き出すムーブでもあった。レスラー仲間の間でも「タフガイ」「化け物」と呼ばれ恐れられた打たれ強さを活かし、相手からの反撃を受けても構わずひたすら殴り、蹴るという豪快な喧嘩ファイトがブルーザー最大の見せ場といえる。 ストンピング 相手の腹部などを大袈裟に振り上げた足に体重をかけて踏みつけ、更に大声で怒鳴りつけながら相手を踏みにじるスタイルを愛用していた。 ダイビング・ニー・ドロップ 当時のプロレス界におけるトップロープからの攻撃の定番ともいえる技。下記のアトミック・ボムズ・アウェイの布石として使われることも多かった。 アトミック・ボムズ・アウェイ(ダイビング・フットスタンプ) トップロープから跳躍し、倒れた相手の腹部などを踏みつける。ブルーザー最大の必殺技である。本人もこの技には一際こだわりがあったようで、跳躍した瞬間の空中姿勢は非常に美しく、更に強烈な殺気と迫力を観客に与えるものだった。なお両足で踏みつけるものと片足で踏みつけるものの二種類があり、試合展開などから判断して使い分けていたようである。和名は「原爆落とし」だが、現在この呼称で呼ばれることは少ない。 凶器攻撃 ゴングやロープ、解説席にある電話など、ありとあらゆるものを凶器として利用したことで知られる。来日時に馬場と対戦した際、場外乱闘の中で体育館の床板を蹴破り、その床板の破片を手に殴りかかってきたというエピソードが非常に有名。また、メリケンサックを隠し持っていたこともあった。 獲得タイトル [編集] NWA NWAミズーリ・ヘビー級王座:3回 NWA USヘビー級王座(ハワイ版):1回 NWA USヘビー級王座(デトロイト版):4回 NWA USヘビー級王座(シカゴ版):1回 NWA世界タッグ王座(シカゴ版):1回(w / ジン・キニスキー) AWA AWA世界ヘビー級王座(オマハ版):1回 AWA世界タッグ王座:5回(w / クラッシャー・リソワスキー) WWA WWA世界ヘビー級王座(ロサンゼルス版):1回 WWA世界ヘビー級王座(インディアナポリス版):11回 WWA世界タッグ王座(インディアナポリス版):14回(w / クラッシャー・リソワスキー×6、ウイルバー・スナイダー×3、ブルーノ・サンマルチノ、ビル・ミラー、スパイク・ヒューバー、ジェフ・ヴァン・キャンプ、ボビー・コルト) 日本プロレス インターナショナル・タッグ王座:1回(w / クラッシャー・リソワスキー) |
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