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菅原 拓也(すがわら たくや、1983年11月3日 - )は、日本のプロレスラー。秋田県北秋田郡比内町出身(現大館市比内町)。DRAGON GATEを解雇されフリーランスを経て、プロレスリングElDorado所属となるが、2008年団体の活動休止から、親会社であるソウルコネクション所属となる。通称「がっちゃん」。ZERO1-MAX中継実況の塩野潤二氏からは、“白夜のバンパイア”と形容される
目次 [非表示] 1 経歴 2 得意技 3 エピソード 4 タイトル歴 5 外部リンク 経歴 [編集] 高校を中退し、闘龍門T2Pメンバーの中になんとか滑り込む。闘龍門8期生。2001年12月2日プロレスデビューを果たした。一時ヘンリーIII世・菅原を名乗り、アンソニー・W・森らと王子様キャラのロイヤルブラザーズとして活動し、2003年1月に東京ドームで開催されたWRESTLE-1 IIに出場して大舞台を経験する。その後、ヒール志望が強かったこともあり、2004年に近藤修司、"brother"YASSHIら率いるルードユニット「悪冠一色」に加入し大ブレイクしたが、2004年12月団体からリング外の素行不良・職務怠慢を理由に解雇された。 近藤・ブラザーが移籍した全日本など、国内で活動し始めた他の旧メンバーと違い、彼のみ国外に活路を求め、猪木LA道場で修行していた。2005年dragondoor第一回大会で凱旋を果たし、2006年2月26日にはZERO1-MAXで4団体認定インターナショナル・ジュニアヘビー級王座を奪取した。 その後、一時期怪我のため戦線を離脱したが、復帰後は悪冠一色を離れてバラモン・シュウらと組み「HELL DEMONS」を結成。2007年8月9日にはUWA世界6人タッグ王座を獲得した。 ElDorado外ではベビーフェイスとして活動しているため、2007年12月、バラモン・ケイのお告ゲルによりチームから追放される。トリオベルト返上。 2008年、大鷲透、荒谷望誉と組み、バラモン・豪組と決定戦を行い、再びUWA世界6人タッグ王座を獲得した。 2008年12月、ElDorado活動休止。 2009年11月6日、古巣・DRAGON GATEの後楽園ホール大会で望月成晃に呼び込まれる形で旧世代軍の一員として登場。 2009年12月27日、福岡国際センター大会でベテラン軍を裏切り、REAL HAZARDに加入。 得意技 [編集] 十三不塔(シーサンプーター) 相手と背中合わせになった状態から片腕を相手のわきの下に入れつつ背中に担ぎ上げて、もう片方の腕で相手の足を固定し、その場でエアプレンスピンのように旋回したあと尻餅をつくように着地、相手を垂直気味に落とす技。相手は頭部にダメージを食らう。形は小橋建太のバーニングハンマーに似ている。技名の由来は麻雀の役から(以前は役満だったが今ではローカルルールでしか見られない役)。ヘンリーIII世・菅原時代の名称はバッキンガムドロップ。 T.C.O.(The Crime Operation) 風車式バックブリーカーの要領で相手を自分の両肩に担ぎ上げ、リングの対角線を走ってジャンプ。バックフリップの要領で相手をうつぶせにマットに叩き付ける。 プラセンタ 足を固めるスクールボーイ。ホルヘ・リベラ直伝の丸め込み技。技名の由来は美容サプリメントの原料にもなる胎盤から。 ブラックボックス攻撃 (得意技とは違うが)リング入場時に“ブラックボックス”と呼ばれるもの(DIYショップで販売している黒単色の工具などを納めるポリの蓋付きボックス{両サイドがロックできる})を持ってリングインし、それを試合の終盤に利用し相手を叩く。それをレフェリーのブラインドをつき行い、フォールを奪う。 エピソード [編集] 藤田ミノルに似ていることから、藤田ミノルからは「弟」と呼ばれている。 闘龍門時代、CIMAからフォールをとったこともあり、将来はかなり期待されていた。しかし、ユニットでの活動内容は全て中途半端となってしまった。 タイトル歴 [編集] ZERO1-MAX NWAインターコンチネンタルタッグ パートナーは藤田ミノル 4団体認定インターナショナルジュニアヘビー級王座(第7代) プロレスリング・エルドラド UWA世界6人タッグ王座 パートナーはバラモン・ケイ&バラモン・シュウ。 PR |
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